2016年09月17日

生命エネルギーの賜物-火の扱い方と文明の危機

生命エネルギー、と書きましたが錬金術の四大元素の火の属性は、まさにエネルギーそのもの、です。生命体に火のエネルギーが含まれる場合は必ずといっていいほどその生命エネルギーを表しているのですが、一方で、人間がそれのエネルギーを利用し始めたのが、いわゆる火、炎です。人間の文明が芽生えたのはそもそも火を利用したから、ともいえるものですがその後、一方で人間は火薬の利用を始め、銃・大砲など銃火器の登場、それから燃料を利用する蒸気機関、その後は動力源、エンジンを発明して、これを利用してきました。まぁ、その後は軍事兵器で爆弾なんかも作られるようになって、普通に落とされる時代にもなってきているのですが、これらはすべて火のエネルギーを上手く利用したもので、人間は火のエネルギーと付き合いながら、今までなんとか文明を築いてきた、わけであります。ただ、ひとつ引っ掛かるのは、タイトルで火の扱い方と文明の危機と表したように、これら火のエネルギーを灯りや熱源、あるいは加工の道具、物を乾燥させたり、といった生活に必需の範囲で利用していた分にはなんら問題無かったのですが、それを英語でいえばまぁ、インフルエンス(influence)、いわゆるインフレ、ですね熱量をある一定基準以上生み出す、いわゆる熱量の生み出し過ぎ、やりすぎの域まで人間が行くとどうなるのか、というとさっき出したように銃や大砲などの銃火器、あるいは爆弾やそれを落とす軍用機のエンジン、挙句の果てはミサイル、核ミサイルなど錬金術ではある意味絶対禁忌とされている「他のものを破壊してしまえる力(オーバーキル)、オーバーパワー」となってしまうのです。まぁ、物質の成り立ちを探求する錬金術的にも熱量的に観ても当然NGなものなのですが、他のものを破壊してしまえるレベルの熱量、あるいは言い換えればエネルギーは、どう考えても行き過ぎです。まぁ、これが中世までであれば、火の戦争への利用といっても普通に熱源レベルか、せいぜい火矢や投石器の火炎弾、あるいは城を守るための油を城壁の上から注ぎ落す、など熱源としての利用を超えない、ものでした。それが火薬の伝来に始まって銃・大砲など銃火器が広がっていって、結果的には特にヨーロッパにおいて戦火に火がついたわけですから、火薬の発明はその後化学肥料の発明にもつながりましたからある意味全てが必要悪だともいえないものの、それでも中世から近世にかけての人類・地球に大きな災いをもたらしたことには、違いありませんでした。物をただ燃やすレベルからちょっと火を近づけるだけで「爆発」するレベルの非常に好反応な火薬、を発明したわけですから、当然それは武器として戦争に利用、されます。しかしながら人間の場合は概して極大な力を得るとそれを使いこなせないのが分かっていたのか分かっていなかったのかどうしてもそれを使ってしまう傾向にあります。元からその発明がその後の文明・社会に与える影響を十分に考慮できたいたのであれば、その後も何らかの形で上手くその力も制御することが可能だったのでしょうが、結局のところ裏でどういう力が働いていたのかは知りませんが人間の場合は、「地球上で戦争という形でそれらを盛大に利用する」という愚かな手段に出るしかなかったようです。まあ前時代の人間が何をしていたのか、なんてのはおいておいてですね、今の人間がするべきことはそれらの制御なわけですから、それをこれから観ていこう、とも思うわけですが、錬金術の四大元素的にいえば単純に観れば火のエネルギーというものは、それを人間が有為に生み出したのを前提とすればそもそもその場のその他の水・風・大地のエネルギーの総量を越えたりしなければ、そもそも文明的には失敗続きの人間にも十分制御、可能なものなのです。当然、兵器を製造する際にはそれぞれ水・風・大地など火以外のエネルギーも消費することになるのですが、それはおいておいてそもそもその場において「過剰な」火のエネルギーを生み出す際でも、前述した通り水・風・大地などのその他エネルギーの総量を越えなければその場にいる人間に十分にそれらは制御可能なものなので、錬金術的なエネルギーで観てもそこまで問題はない、わけです。もちろん、火のエネルギーを集中的に生み出すこと自体、そもそも他の三元素のバランスを崩しかねない、非常に危険な行為である、ともいえるわけなのですが、それ以上に、単純計算で観ればこの世界にとってそこまで問題ではない、わけなのです。ところが、人間が今まで生み出してきた、いわゆるそれら「禁忌の発明」はその火のエネルギーを単純にいえば極大まで増大させる方法、でもあったわけで錬金術的に観れば、そんな危ないことをすれば人類の文明が遠からず未来危機に晒される、ことは誰にでも目に見えていたでしょうし、当然その場の科学者だって何人かは反対したでしょうが、それでもそれを結果的には「やってしまった」のが今の今日の人間文明社会、だったわけです。もう、こういうと人間が使う火のエネルギーは悪いことずくめばかりだ、と思われるのかもしれませんが、決してそうではなく、前述の通り、その場の他の水・風・大地の三元素の総量(実際には等価ではなく元素の周期的に観れば火3、水2、風1、大地4、なので普通にいけば火が他の三元素の総量を越えることはない)を越えたりしなければその場の人間にも制御可能なものでもあるので(むしろそれらを下回っている状態であれば有為に制御、そして利用できると考えられる)とにかくその場にいる人間が錬金術的観察を怠らずにその場のエネルギーを制御してやればいい、だけなのです。それを知ってか知らずしてか、過去の人間は恐ろしいそして悍ましい兵器を作ってきてしまったわけで、この尻拭いを誰がしなければいけないのか、というと当然膨大な火のエネルギーの処理には当然莫大な火のエネルギー及び他の三元素のエネルギーの消費も伴わなければならないので、といって結局のところ、その後の未来の人間、なわけです。こうやって観ていくと、本当に火のエネルギーはこういう風だといいところなしだなぁ、となっても仕方ないところ、なのですが前述の通り他の三元素、いわゆる水・風・大地、すなわち環境で制御が利いていれば人間にも十分に制御可能なものだ、とは書いた通りですが、それでも膨大になった火のエネルギーは当然誰にでも制御できるものではなく、むしろそんな人物はいない、と思った方が当然よい代物、なので結局のところそんなものは作らないに越したことはないですし、そもそもそういうものが、いわゆるああいう恐ろしい、悍ましい(大量破壊兵器含む)代物だったりするのです。そうとくれば、単純にこれ以上作らなければいいだけじゃないか、とくればいいですが、人間の文明の場合はそうはいかず必ず大量の火のエネルギーを生み出すとそれを利用しようとする、立場の人間が現れてくるわけで、まぁ、それについてはこの場では言及するつもりもありませんが、とにかく火のエネルギーが膨大にならないようにするのがまず第一、です。それから、火のエネルギーは前述の通りのように水・風・大地などのエネルギーがあればエネルギー的に十分還元可能、なので(還元可能、ということは吸収・制御可能だ、ということ)とにかくその場においての総量がその他属性の総量を越えない、ようにすることがまず必須だ、ということは言っておかなければなりません。そのためには火のエネルギーの場合は事前にどれくらい使うのか、でどのくらい生み出すのか、をまず正確に計算していなければいけないところで、そういった錬金術的観察、それから計算無くしては、まず安全に扱えない、ものなのです。もちろん、今の現代の私たちの生活では非常に有益に制御された状態でありますから、まず下手っぴでもよほどのことでもない限り大丈夫なのですが、それでもコンロなど爆発の危険性も必ずしもないわけではないわけで、そういう意味ではいずれの場合も何も知らない人にとっては危険な代物である、ということにはまず変わりはない、です。ただ、他の自然物の例にもれずそれらを比較的安全に学ぶ方法もないわけではないわけで、例えば野外活動などで実際に焚火などで火を扱ってその物をその目で見て、触れて感じることがまずすべてであり、逆にいえばそういった手段でなくてはとてもではありませんが、ズブの素人の人間に火はまともに安全に扱えたもの、ではありません。やはり比較的安全な環境で、他の三元素の例にもれず実際に扱って覚えることが一番、なのですがそれすら、怠ってしまうようでは色んな意味で今後の人類は危うい、ですし逆にいえばそういった地道な活動を行っていくことで、人類全体の改善を図れる可能性だって、あるわけです。まぁ、私は人類が比較的まともなそっちの方向に進むと思っていますが、何も知らないがゆえに危険なことをする人間がいることも、事実です。まぁ、そういった無知が世の中をダメにするのは人類に限ったことではありませんが、それでも例外でもなく他人事でもないので、その点そういった地道なところから、よりよい人類としての在り方、を人類としては探っていきたい、ですね。
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2016年09月08日

ゲームの極致と“臨機応変”という言葉の重み

今まで、散々ゲームの仕組みであったりとか陣形のことであったりとか、戦線の突破など書いてきたのですが、はっきりいいます、ゲームは状況に合わせて動くことこそ、全て、なのです。機に臨みて変に応ず、という臨機応変という言葉がある通り、結局ゲームの仕組みだとか構造だとか関係性だとかそれぞれ細かい事象を観ていっても、結局のところ今ある状況を観てどう動くか、というところにゲーム的力は集中してきている、のです。どういうことかというと、今の状況を観てどう動くか、という動くか、の部分に全てのゲーム的展開の可能性の根源はあるのであって、ゲームの一部あるいは一員である自分がどう動くか、によってそのゲームは動いて、いくのです。ということから考えますと、臨機応変、機に臨みて変に応ず、というのが兵法の最善、であってこのブログでいつぞや書きましたが、兵法での最強の陣形は“無形の陣だ”の通りその都度その場の状況、あるいは戦況に応じて陣形を変える、つまり状況に応じて、戦略的、あるいは戦術的に動くという点で臨機応変の概念とほぼ一緒のものである、ということなのです。ゲーム的選択性に全ての可能性がある、ということをこれまでもいくつか書いてきたかとは思うのですが、それ以上に、選択肢以上に今現在のある状況を観て、そこで判断して動く、というのはある意味ゲーム的極致であることはいうまでもありません。ゲーム“理論の”極致という意味ではゲーム理論というのは元々物事の選択性に対して最善の答えを数学的に導き出す、ことが目的なので、極致としてはあらゆる意味での万能の答えを、ということになるのでしょうが、仮にいえば、それはゲームがある、あるいは今現在(の存在)がある、ということであって、結局そのゲーム的函数から今現在ここの存在を導き出す、というのが一応数学的な意味での答え、なのではないのでしょうか。あらゆる選択性に対しての万能の答えを、といっておきながら実際はその選択性の如何が今現在のここに係っているので、そういう意味ではちょっとこけおどしのような感じもしますが、それでもゲームあるいはゲーム理論はその選択肢、あるいは手段のひとつであって、結局のところ道具なので、最終的に答えを導き出す、のはそのゲームのプレイヤー一人一人というか、そこにいる人間、一人一人であったりするのです。答えを示すといっておきながら、実際はその答えとは今現在問題を解決すれば……ということになるのですが、(それはそもそもゲームあるいはゲーム理論というものが手段あるいは選択性の科学であるから、最終的な答えはプレイヤー本人が求めていかなければならない、ということでもある)それでも選択性の如何そのものでゲーム的展開は変わる、というところは間違ってはいませんが、それでもなおかつ、ゲーム的選択性としての最善の答えは、手段>(乱数)選択性になるのでその都度今現在の状況を観て、自分の目的と整合性を持ちつつ、自分にとって最善の選択肢を取る、というところが一応の答え、なのではないのでしょうか?結局のところ、総括してしまえばゲームにしろ選ぶのは自分なので、今ある状況を的確に分析して、最善の答えを出していく、しかないのです。結局のところ、理論的に最善の答え、あるいはそれを導き出す、方法を考えついても最終的には、今そこにある人たちで、その都度判断していくしか、ないというのが究極の答えであり、ゲーム的極致、でもあるのです。
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2016年09月05日

戦線の突破とゲーム的進行-ゲームのルールと攻略

戦線の突破とゲームの関係性について、ですがまず初めにいいますと、いわゆるゲーム(戦争における戦い、スポーツなどのゲーム、あるいは駆け引きなど)と呼ばれるものは大抵の場合、いきなり極端な例えですが、相手の戦線を突破することで道が開けます。つまり、例えば戦争における戦いやあるいはそのゲーム、さらにそれを模したサッカーやアメリカンフットボールなどのスポーツにおいても、ゲームに勝つ、つまり攻略するには相手の戦線を突破しなければならない、のです。これは、ゲーム理論的に数式を使わずに単純にいうと、相手の戦線、つまり戦いなどでいえば陣構え、フォーメーションのライン、なのですがゲームに勝つ、攻略するにはゲームを展開させなければいけませんから、普通にゲームというものは押し合えばやがて膠着状態になってしまいますから(ゼロサムゲームでもある)、どこかでゲームを展開させなければいけない、のです。となると、相手の戦線を上手く廻り込むなどして巻き取らないといけませんから(大抵の場合スポーツなどの試合でもそうだが戦いにおける戦線というものは一直線で構成されている故に側面を衝かれると弱い)戦線単位で見て(だいたいここでの例えでは30〜50mほど、二列か三列の歩兵などの横列陣だと想定していただければ分かりやすいかと思うが)相手の戦線、つまり歩兵陣と自陣の戦線、歩兵陣が向かい合っているとして、戦況、つまりゲームを展開するには相手の戦線、戦列の横から廻り込まないといけない、のです。下記図参照↓
戦列図・フランキング.png
図にすると若干分かりやすいかと思いますが、戦列同士で対峙した場合は陸上戦の場合は敵戦列側面に廻り込むと効果的に、相手より優位に立てます。ちなみに海戦の場合は風向きにも移動が依存しますが基本的に敵戦列前方になります(よくある丁字砲撃)。かなり大ざっぱな説明になりますが、基本的にこの方法であれば敵戦列を突破できます(これに合わせて敵第一戦列が移動後の自陣第一戦列と斜めに方向を変えて対峙しても自陣第二戦列で横を取れるため。仮に敵第二戦列が前に出てきてもいいが、行進速度の関係だと両軍ともほぼ同じだとして自陣の第二戦列が前に出て前進するまで間に合わない。よって敵方の対応策としては第一戦列が少し下がり気味にスライドして自陣の第一戦線と対峙すると同時に、第二戦列が素早く守り気味に前に出ないといけない。そうでないとゲームにおいては仕掛けたほうが常に若干早いので、自陣の第二戦列にあっという間に前進後突っ込まれて、第一歩兵戦列がごちゃごちゃにされてしまう)。上記のケースだと、例えば中世の場合であれば敵側の第一戦列が自陣側の第一戦列のフランキングに対応しながら、陣形を方陣か円陣に変えて、敵と正面から向き合う面を増やすことも、できます。ただ、この場合も敵側第二戦列が素早く第一戦列の横をすり抜けて蛇行陣の状態で自陣第二戦列と向かい合わなければいけませんから、結局はそこからまともに立て直して相対するのも時間的に難しいですし、そのまま自陣側の第二戦列に対して蛇行陣のまま直進して側面に構えて横ざまに攻撃することもできますが、上記のケースでは先に仕掛けているのが自陣側なので、それに合わせて対応されてしまえば結局は後手後手になってしまい、最終的には勝機を逸してしまうことにもなります。つまりは、上記の図を見て理解できたかは知りませんが、戦い、ゲームというものは対等に対峙している状況とするならば常に先に仕掛けて先に動いたほうが勝ちというもので、そのためには常に相手よりも先に戦略を考えて戦術を打っておく必要がある、のです。先に戦術的手を打って動くには相手よりも戦略的に上回っていなければいけないのですが、それも地形など環境や状況を正確に分析、把握して情報的に優位に立っている必要があり、結局何かといえば、相手よりも詳しく細かく考えて先に動かなければならない、ということですから結局のところ戦いというものは先に手を打って、先に動いたほうの、勝ちなのです。かといって、じゃぁ先手を打っていれば負けることはないから何でも闇雲に先に動けばいいか、というとそうではなく、ちゃんと考えて動かないと相手に足をすくわれますし、色々なあり得るパターンを検証して自陣にとって一番効率的な手を「先に打つ」必要がありますから、それが戦いやゲームにおける、采配の能力というかゲーム的思考の速さ、ゲーム的能力そのもの、なのです。もちろん、戦いといえどゲームですので、この方法で一時的に勝ったとして大局はすぐに変わるわけではありませんが、それでもこれは戦い、及びゲームにおけるひとつの勝つ方法、として記憶に留めておいていただいても、損ではない、方法だと思います。      
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posted by skywalker at 14:01| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月28日

ちょっとへんてこりんな問題

ちょっとへんてこりんな問題です。皆さん色々な意味でついてこれるかな?

1.Aは真である。Bは偽である。Cは真である。Dは偽である。

2.Aは偽である。Bは真である。Cは偽である。Dは真である。

3.AとCが真であるとき、B、Dは偽である。またBとDが偽であるとき、A、Cは真。

4.AとCが偽であるとき、B、Dは真である。またBとDが真であるとき、A,Cは偽。

さて、この4つの命題のうち、正しいものはどれでしょうか?また、間違っているものがあるとしたら、はたして何なのでしょうか?この問いは謎かけです。分かる人だけが解けます。分からない人には解けません。分からない人はお帰りください。頭の容量を無駄遣いするだけです。分かる人は、勘でお答えください。その答えが、あなたの扉を開くでしょう〜。(解答はコメント欄にお願いします。分からない場合は無理して答えなくて大丈夫です。分からなくても、大丈夫です。その扉を開けたときに、答えは分かります。)
posted by skywalker at 10:37| 愛知 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | クイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

達成度と到達度に関する質問(簡単な調査)

ちょっと質問いいですか?誰にでも当てはまることだと思うけど選択性の研究する上では重要なことなので〜。

次のうちどちらかを選んでください(経験ない場合は勘で)

利益が出ていてもそう満足感は得られない交易、か
利益はそれほどまでに出ていなくても十分に満足感が得られる交易

もうひとつ、

満足感や名声は得られなくてもデカい敵を海事で倒した時の到達感
たとえ相手に完全に打ち勝つことができなくても満足感や名声が得られる戦闘

さらにもう一個

皆に認められるような割と誰もが知っていてかつ到達困難な冒険か
誰に認められるか分からないけどまさかと思うような身近な発見物

以上です、余裕があったら答えてね〜
何かをしていて割と達成度と呼べるものでも意外と皆に認められるものって、少ないんです。自分で到達するのを良しとするか、他人に認められるのを良しとするか。皆に廻す必要はないので勘で答えてみてください〜。サンプルはひとつか二つあれば十分です〜。(自ブログに転載したので何人お答えいただいても大丈夫です〜、回答はコメントにお願いします〜)
posted by skywalker at 10:46| 愛知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | アンケート・調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする