2016年04月28日

干し肉のススメ

現代の私たちは冷蔵冷凍技術が発達した「おかげ」で生あるいは冷凍の肉を買ってきて家で加熱加工して料理にして食すことに慣れているわけですが、そもそも冷蔵冷凍技術なんてものができる前は肉にしろ魚にしろ、生で食べることができない場合は全部干してあるいは塩漬けにして、「保存加工した上で」食べていたわけです。家畜を屠殺する時期だったり魚が採れる時期というか漁に出る時期は決まっているわけですから、当然その他の季節はそういった猟の産物にありつけないわけです。なので、昔から、人は家畜だったり狩猟で採った肉、あるいは漁や採集などで採った産物はほとんど全部乾燥あるいは塩漬けして保存加工する癖というか習慣がついていたわけなのです。乾燥保存加工すると当然水分が抜けるので圧縮されて小さくなりますが、それと同時に成分が凝縮されるので、水に戻してだったり再度食べるときには保存しやすいのと圧縮されているので加工しやすいのとが相まって、非常に使いやすくなるのです。そういう経緯もあってか、加工保存するのと食べるのとの利便性が両立しているので、昔から人は採れたものを保存加工する癖というかそういう習慣になってきていたのだ、というように思うわけですが、例えばの話現代の私たちは牛や豚などの家畜の肉を生で買ってきて調理加工して食べることに慣れているわけですが、それと同時に生でモノを流通させることは容易ではなくしかも元々牛豚の肉は食べる習慣がほとんどなかった日本ですから当然肉を食べることや加工には慣れていなくしかも干し肉などで保存加工したものを食べるといった習慣にはほとんど慣れていない、のです。それに対して伝統的に家畜あるいは狩猟肉を食べる習慣のある他の地域では欧米だろうとその他地方だろうと干すなり塩漬けなり肉を保存加工して食べるのは当たり前、ですから(もちろん日本でも山間の狩猟肉だったり鶏やヤギ肉などを干し肉など保存加工して食べていたのは否定しませんが)そもそもの、伝統的な肉の食べ方としては、採ったその場で生のを焼くなどして食べるのはおいておいて、採ったものを冬などに備えて干すなり塩漬けにするなりして保存加工する癖が昔から人にはついていたのです。なので干し肉なり保存加工したものを戻すなりそのまま調理したりして食べるのはどんな食品であっても昔はそれが当たり前のことで、むしろ今の人間が生のものを食べ過ぎている(しかもそれらを温暖な地域で流通させるには冷蔵以外にも「それなりの」ことをしないといけないことは忘れてはならない)傾向にあることは重々知っておく必要があります。野菜など食べ物の生産にあたっている人はよくご存知だと思いますが、食べ物を保存加工だったり流通するまで取っておくことは、非常に重要だけども難しいことでもあるのです。現代の野菜など食品を買って食べるだけの人には分からないことなのかもしれませんが、モノを生産する現場を見てみると、ひとつの食品、例えば野菜の葉一枚ができるまででも、非常に多くの手間と労力と時間がかかっていることが分かります。確かに家庭菜園など放置農法で野菜などを育てることもできますが、それはやり方がうまいだけで業務用など販売向けには必ずしもそれで足りるとは限らない、やはり、それなりの手間と労力、時間をかけないと何事も生産できないのです。ということを考えると、特に食品などが流通するまでには非常に多くの手間がかかっているわけで、そういう意味では「何かしらの加工」なしでは生のまま食品を流通させるのは温暖で夏特に暑くなる日本ではとてもではないが難しいことが分かります。なので現代人は生産地から離れていても生のまま食品を買ってきて加工することに慣れている、「ように思え」ますが、実際は、そこまでに多大な手間がかかってますし実際それは普通のことではないしただ事ではない、のです。というところから考えると、生のままがそのまま「ではないかも」しれませんがそのまま遠くまで流通するのは実は若干どころではなく不自然なことで、本来であれば、今までは冷蔵技術が発達するまではその地方、土地で採れたものを食べていた、あるいは保存加工して食べていた、ともいえるのです。逆に、保存加工されたものであればバターや干し肉、干し魚など中世・近世のヨーロッパでも船で海を渡って普通に流通していたものですが、それでも流通させるのには干したり塩漬けしたりといった保存加工は必須だったわけです。ということから考えると自前で採れたものであれモノを保存加工して食べるのは当たり前で、現代においてむしろ多くの人が生あるいは冷凍のままで流通したものを「むしろそれが普通のことであるかのように」当たり前に食べている現状が、むしろとてもそのままではおかしなことである、というように思えてくるわけです。結局、話を発端に戻しますと、そもそも家畜の肉を生産するのには鶏はおいておいて牛や豚などは多大な食物水(家畜の飼料は穀物ですからその穀物など原料を生産するのに必要な水の総量)を消費しており、先進国の人間がこぞって家畜の肉を食べているのは非常に問題、なのです。なぜなら、本来であれば家畜を育てるのに消費した穀物を発展途上国など飢餓の起こっている地域に回せば飢餓は防げるのであり、すでに人類はカロリーベースでは飢餓を克服しているのです。それなのに発展途上国で飢餓の人が続出するのはそもそも先進国の人間が生のままの家畜肉を買ってきてそれを焼くなどして食べているから、であり干し肉ではない家畜肉を調理して満足いく量を食べるには実は食物水に換算すると結構な量を食べなければいけない、のです。鶏肉は例外だといったのは体の大きさからしてそこまで食物水を消費していないし、成長するまでにさほど時間はかからない、からです。という以上のところから考えると生の肉を流通させるのも買ってきて食べるのも実は人類全体にとっては不合理なことであり(冷蔵技術でも結局フロンを使っているかもしれません)その上動物性タンパク質は摂り過ぎると体内でコレステロールが増えて血管を詰まらせる原因になりますから、タンパク質を摂るのならむしろ大豆など豆類あるいは魚でいいのです。その上でどうしても肉を食べたいというのなら鶏肉かあるいは干し肉で食べればいいわけで、確かに干し肉でも現代流の加工を施されたコンビニなどのものはちょっと注意が要るのですが、それでも化学添加物無添加のものであれば食べるにしても少量で満足できるのでむしろそちらがおすすめです。むしろそれで肉のありがたみを分かるわけですから、生のままの家畜肉を買ってきて調理してずかずか食べるよりは、よっぽど普段の食事は豆類と魚にしてたまに肉の味が味わいたくなったときは無添加の干し肉を買って来ればいいわけで(ちなみに自分で作るのにはちょっと手間がかかるので「時間のない」素人にはおすすめできません)、本来であれば食物水を多量に消費する牛や豚の肉はそれも先進国の人間であれば食べてはいけないもの、なのです。ちなみに、最近加工肉食品などの危険性が報道されたニュースもありましたが、あれは加工するのに化学添加物を使った結果それを食べ過ぎると危険性があるというだけで、それの根本的な要因は生であれなんであれ家畜肉を「食べ過ぎること」にあるわけです。肉を食べるのには調理だろうと加工だろうと塩や香辛料など調味料が必ず必要になりますから、むしろ実は「干して乾燥させて量を小さくしてから食べる」という発想があればより少ない肉の量でも十分満足する、ことができるのです。食品なんて加工のしようでいくらでも満足するように食べることができますから、それはむしろ当たり前、なのですがともかくまずは家畜、特に牛と豚の肉を食べるのをやめる、たまにその味を食べたくなったらできるだけ無添加の干し肉でも買ってきてちょっとずつ食べていればいい、のです。そもそも肉なんてそのままではほとんど味のしないもの、ですしだったら干して味と栄養の凝縮されたものを食べたほうがいい。それでなら、手間もかかり凝縮されているのでちょっとずつ食べるだけで済みますし健康的な理由もあり豆や魚類を主食として食べているほうがいいわけ、です。ちなみに、現在では大量生産される安物の干し肉などでは当然化学添加物が入っていると思われますがそれが習慣化するにつれて需要が高まっていけばむしろ使われなくなっていく傾向になるでしょう。それでいて、ちょっと食べるだけで「気分の」済むものであれば多少単価が高くても問題ありませんし、むしろ何の気もなしに家畜の肉を買って食物水、あるいは穀物を無意識に無駄にしているよりはよっぽどいいのではないでしょうか。ともかく、牛や豚の肉など家畜の肉を食べ続けるよりは豆類や魚類に主食を転換したほうがいいわけで、そのためには保存加工の技術だったり干し肉を食べる発想などはとても重要なわけです。匂いが気になる、という人もいるかもしれませんが、そもそも肉を食べる、ということは家畜であれ狩猟肉であれ「命をいただく」」行為そのものであり、そうであるならばより「ありがたみが実感できる」方法であったほうがいいわけなのです。
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2016年04月07日

食事の摂り方〜風と水のバランス〜

食事の摂り方、ということですが簡単にいうと風と水の属性のバランスが重要だ、ということなのです。確かに火と大地もこの世を構成する重要な要素であることには変わりないのですが、食事、あるいは生命として必要な養分としては人間の場合は風と水が主に重要な要素になってきます。人間はかなり高度に知能が発展した生き物ですし、むしろ摂りすぎると生命を縮めるカロリー、つまり大地と火の属性は、必要以上に摂りすぎるのは避けたほうがいいでしょう。もちろん、食べ物としては火と大地の要素も欠かせないのですが、それはむしろ成長期にわずかに必要な要素で、大人になってからの食事、あるいは風味、味を楽しむ食事としてはむしろ、風や水の要素中心の食材、食事にしたほうがよいでしょう。いちいち一個一個の例を挙げているときりがありませんから、ここでは大概な論に終始するとして、調理・加工では確かに大地の器、それから火力としての火の属性を用いますが、それらの属性を使った上にさらに大地と火の属性の食材(穀物、肉類が中心になりますから、摂りすぎると当然カロリーオーバーですね)を中心にしてしまうと、どうしても太りやすくなったり不健康になりがちです。一方、主食は穀物(大地の属性ですね)で摂るとして、主菜や副菜、つまりおかずを水や風の要素中心にしてみたら、どうでしょう?大抵の場合、海産物や野菜が中心になりますが、当然お腹にも来にくいですしなにより栄養は摂れて、カロリーになりません。火や大地の属性、つまりエネルギーや栄養分が足りなければ、単に穀類などで補えばいいだけの話で、基本的に風味や味、食べたおいしさを食事の中心に据えるのなら、やはり主菜というか最低限副菜、おかずは海産物や野菜中心のものにしたほうがよいでしょう。その地方地方で摂れるもので大丈夫なのですが、海産物や野菜はそもそも味付けがしやすいですし、ほんの少し摂りすぎたぐらいでは、そこまで太るほどのカロリーにはなりません。また、出来るだけ味付けは植物由来のもの、ハーブか油を積極的に使ったほうが健康にいいのは確か、です。ただ、それも入れ過ぎればいいか、といったら当然そうではなく、最低限風味と健康、それからおいしい食事、のためですので最低限の量を適度に使いながら、その食事の都度に合わせてバランスよく味付けるのがポイントです。ひいては、ここでバランスよく最低限の味付けをする技術が、風と水の属性のバランスの取れた食事を作る技術的には、最終的には一番重要な要素になってくる、のです。結局、結論をいえば何でもやりすぎや摂り過ぎはよくない、というだけの話で、四大元素的にそのバランスを取ろうとするのなら、単純にカロリーになりやすい火や大地の属性よりも、味や風味がよくなりやすい、あるいは付けやすい風や水の属性中心の食材、食事のほうが、毎日繰り返し似たような食事を食べる、ということを考えると、やはり体というか健康的には、一番いいのです。もちろん、食材にはただ単一の属性のものだけでなく、3つだったり火・水・風・大地の四大元素がバランスよく入っている、エリキシル(万能薬)のような食材も、確かにあることはあります。ただ、4つの元素がバランスよく入っているので、当然ある程度はカロリーになりますし、何よりそればかり集中して買っていても結局はコストがかかり過ぎてしまいます。そしてなにより、そのような食事ばかりでは、むしろ栄養の摂り過ぎで体に悪くなってしまいます。まぁ、何事もやりすぎ、摂り過ぎはよくない、ということのいい例えなのでしょうが、とにかく、この世界のバランスを考え、調和をとって生きる、これが、錬金術的な風と水のバランスから食事を考える、という点においては、一番重要なポイントなのではないのでしょうかね。とにかく、バランスを取る、のが重要になってくる、のです。賢者の石も、万能の霊薬、エリキシルも、大いなる調和から、生まれていることにはまず変わりはない、でしょう。この世の調和を重んじて生きるのが、私たち人類にとっては重要なこと、ですしこのすばらしい世界を維持、あるいはすべての生物が幸せでいられる世界にしていくためには、どうしても必要なこと、なのです。
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モノの鍛え方-火と風の賜物

はい、何のことかといえば、筋肉は情報で鍛える、ということです。元々筋繊維細胞一個一個が生命体なわけですし、生命体は情報で学習します。となると、人間の場合は特にそうですが、筋肉は脳が司っていますし筋細胞一個一個も情報で動くわけです。と考えると脳を情報で慣らして(学習)それに付随する形で筋肉の動きなどを学習させれば、実際にハードに体を動かすよりよっぽど効率的に動けるようになるわけです。しかも、ただ筋繊維細胞を痛めつけるような無意味な反復運動をしなくても、筋肉に実際の動きや運動を覚え込ませたほうが、よっぽど動きのキレがよくなるわけですし、そもそも、人間の運動とは何かモノを動かしたりある目的を達成するために一定の動きをする、あるいはその動きを捻出することを運動と呼んでいるわけですから、目的の達成や狙った動きをする以外に運動の目的などない、わけです。体を鍛える、というのはそもそも情報的にも物理的にも効率的な運動の動きを体の筋肉に覚え込ませる作業のことをいうわけですから、そもそも筋肉細胞を痛めつけるような反復運動、それも持久筋ばかりを消耗するような地味な筋トレなどは実はまったく意味がないのです。もちろん、体を鍛えるという目的ではそもそも筋トレあるいは鍛えることそのものには意味があるわけですから、率先して体を動かしたほうがいいわけなのですが、それも武術や剣術などもっと創造的で情報的、物理的どちらでも意味のあるものあるいは動きそのものに意味がある運動にすべきです。無意味な遅筋の反復運動は体の老化を早めるだけですから、どうせ運動するなら武術などもっと創造的な動きにしたほうがいいわけです。そちらのほうが、脳を使いますし、そもそも体を鍛える、というのは筋肉を情報で鍛えることを指しているので、こちらのほうが本来理に適っているわけです。
さて、モノの鍛え方、ということですがそもそもこれを四大元素、あるいは錬金術的に説明すると、こうなります。パワーを生み出すのは、そもそも火、風か水で出来たものを燃やすことでエネルギーが得られますから、何かを生み出すには、まず火の属性が必要になるわけです。次に、水は早い話火にかけると蒸発してしまいますから、大地は熱すると金属になってしまいますし、早い話、風を熱するのが一番効率がいい、ということになります。風といっても、その辺の風や空気を熱しただけでは、ちょっと抽象度が高すぎて分かりづらいですから、例えば、こう説明しましょう。風、あるいは空気は、そもそも大気の圧力の差あるいはそれらは温度差でできていますが(つまり、水と火です)風や空気も同じくモノの加工に応用すると、圧力をかけたり風を送って酸化させる作業のことを指している、のです。で、いったとおり筋肉は情報で鍛えるものですから、生命の根本である風、あるいは空気は、そもそもその情報のことをさしているのでは、という風に考えることもできます。もちろん、それそのものがまったく情報だ、というわけでもないのですが、そもそも風の属性はその風そのもののことも指しているわけですし、何より、筋肉を鍛える、という視点においては情報である、ということにも変わりはありません。筋肉のほうは全くの情報だ、ということでおいておいていいと思うのですが、モノを鍛える、という作業においては風あるいは火の関係性というものは非常に重要で、そもそも風や火を経由せずにモノを加工しようとすると、大地と水だけですから、当然地下深くに押し込められた礫や水が、圧縮されて石や鉱物になる過程しか、考えつきませんね。それでは何万年もかかってしまいますから、人間がモノあるいは金属を加工するときは、基本的に火と風を用いて加工するわけです。モノを溶かして加工できる状態にするのも、そもそも熱変化を加える作業、というのももちろん火ですし、あるいは乾かしてしまうこともできるわけです。また、モノを酸化させたり、空気と反応させて変化させたい場合であったり、あるいは圧力をかけて変成させたりしたい場合は、風の力、つまり風の属性によるわけ、です。また、火を強くするのにも風の属性はかかせませんね。石油の場合も、風の属性の植物が押し固められて、原油として大地の属性に押し固められたものを取り出して、最終的には分溜で当然火を通じて火の属性のものにするわけなのです。このように、モノの加工には風と火の関係が非常に欠かせないものとなっていて、最終的にそれらの組み合わせが、金属であったりモノであったりの加工法に適用されていくのです。筋肉の場合は、火にかけて風を送って鍛える、わけではありませんから(それでは金属になってしまいますね)、もちろん生命体なので当然(火は生命エネルギーのことを指している)風、つまり情報を送ってそれに慣らして鍛える、のです。まぁ、一通り簡単なメカニズムは分かってもらえたか、とも思いますが、モノの鍛え方の原理、あるいは筋肉の鍛え方、については以上です。このようにこの世のものは、ほとんどすべてが四大元素、あるいは四大属性と呼ばれるものの組み合わせ、で出来ています。まぁ、錬金術の四大属性の考え方も、そもそも一種の考え方のひとつ、だというようにも見ることもできるのですが、そもそもこの世の原理を分析するにあたって、大きく四つに分ける、という考え方以上に明白な分け方はないのではないでしょうか。一方、四大属性に、空、つまり情報を乗っける、という考え方もあるようですが、それはあくまでいうなればそれら四大属性を人間か加工するから、という視点に立った場合の話、でしょう。情報が先か、物質が先か、かは分かりませんが、それも物質の成り立ちの話で、甲が先か乙が先か、というだけの話をしているだけのようにも思えます。どちらにしろ、モノの加工には四大属性が深く関わっている、あるいはその組み合わせだけで成り立っている、といっても過言ではないので、このモノの原理はしっかり覚えてもらって帰ってもらったほうが、いいでしょう。それではお疲れ様でした。
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2016年04月06日

答えの扉を開けるには

まず、初めに結論をいいます。答えはすべてゲームの中にあるんです。何のことか分からない人のために順を追って説明しますが、まず、世の中、あるいは人間のファクトのほとんどは情報、です。情報が私たちの生活の大半を占めているので、その情報の構造であるゲーム(ゲーム理論でいう)を当てはめると、世の中のほとんどのものは、ゲームだ、ということになるのです。現実をゲームと認識するには、大きな壁があるとも言われていますが、世の中のほとんどが情報でその情報の論理的構造がゲシュタルト、あるいはゲームだ、ということを考えると世の中のものほとんどすべてがゲームだ、という答えに無理なく辿り着きます。いきなり、ゲームだ、といわれてもピンと来ない方も多いかと思いますが、世の中のほとんどすべてがゲームのようなものだ、といえば分かりやすいのかもしれません。実際に、情報的構造を分析していけば、ゲーム理論を用いた場合はほとんど全てがゲームだ、という答えに行きつきますから、実際にゲームなのでしょう。また、ほとんど、といったのはこの世界に生きるにあたって私たちがわずかに物理的空間を介している、あるいは物理的体を介しているからで、それももう少し時代が経てば映画「マトリックス」のように完全に仮想空間に移住する時代が来るのでしょう。確かに、物理空間に体を持てている人間は特権階級なのかもしれませんが、ゲームがこの世のほぼすべての情報的な答えだ、という答えが出てしまうと、さすがに情報的にはゲームだけの世界でもいいや、(とはいったものの、実際に今の日本のゲームのような臨場感の低いものでもいけませんし、逆にデータや設定なども正確で十分に臨場感が持てるものでなければいけません。技術がもう少し発展すれば、いずれそういうものが出来上がってくるでしょう。もちろん、今も物理世界で現実のゲームが出来ている人はいいですが、結局物理世界はコストのかかる世界なので、際限なく〈ゲーム理論でいうゲーム〉をやろうとすれば、結局は物理的コストを無視する方向、つまり情報だけでいいや、というところにも行き着きます。後は、上手く仮想世界と現実世界を行き来できるようにシステムを作っていけばいいだけの話、でしょう。実際問題、物理的なモノを生産するには、物理世界で労働しなきゃいけないじゃないか、というのはごもっともなのですが、それ以上にこれ以上モノが満ち溢れる世界になると、逆に人口を「圧縮」するためにいくらか仮想空間に移り住む、あるいは完全にではなくても仮想空間で仕事をする人も出てくるはずです。サテライトオフィスや、ホームオフィスの考え方なんかも、思いっきり半分仮想空間の仕事、ですよね。このように、仮想空間化してその分有効に物理的時間を使おう、という考え方は、実は今では結構当たり前になっている、考え方でもあるのです)とはいかないものの、それでも情報空間というか仮想空間に移り住む人は、今後も増えてくるはず、です。結局、この理由については、人間らしさあるいは人間らしい生活、人間っぽさ、って何か、ということを考えると、見えてくるのですが一重に、生きている空間、特に物理空間のことですが、は有限なのだから、できるだけこの世の多くの人が、等しくこの空間を分け合って、平等に生活していくのにはどうしたらいいか、ということを考えると、結局は半分かそれくらい一部の人が仮想空間に移り住んで、この世の世界を拡張する、というのが必要になってくるのです。拡張世界、という言葉を聞いたことのある方も多いかと思いますが、今VRという言葉で開発が決まった、というニュースも出ていることには出ていますね、結局、物理空間に住める人間の数はこの地球上で限られているので、できるだけ現実的な選択肢で考えていくと、最終的にはこの世のすべての人間が平等にかつ幸せに、人間らしい生活を送れる方法、と考えると、やはり最終的には半分かそれくらい、あるいは一部仮想空間に移り住んで、この世を等しく分割するしか、ないのです。また、人間らしい、とも書きましたが、よく問題視されるように完全に、あるいは物理空間に体あるいは生活の態を残しながら仮想空間に入り浸りになるから、危ない、といわれるのです。そりゃ、そうですよね、物理空間に何かが起こったら、その都度対処しなければいけませんからね、一方完全に仮想空間であれば、入ってる間はそのゲームシステムが管理しているので、そのゲームの中であれば、ほとんど何も問題は起こりません。あとは、そこと現実の物理空間を出入りするシステムを考えればいいだけで、むしろ現実を拡張する、という意味ではかなり有効な、有益な方法のひとつ。なのです。あとはどれだけ現実と仮想空間の社会的なバランスをどう取るかを考えれば済む話なので、さほど難しいことではありません。一方、物理空間だけで生きていくことを考えると、やはりこれだけ世界的に人口が増えてくるとどうしても平等には生活していられなくなりますから、選択肢としては、やはり@錬金術など昔ながらのバランスと調和に基づいて、世界を再編するあるいは、A仮想空間にある程度か一部移り住んで、物理空間と情報空間のバランスを取る、ぐらいしかありませんね。今、オンラインゲームをやっている人は、実は、この見方的にいくとある程度先進的な人々、であるともいえるのですが、今の段階では、実際にはもちろんそれだけでは生活できませんね。ですが、そういう意味での方向性では全然間違っていないので、あとは臨場感を上げる工夫だったりゲーム内空間にエラーが起こらないようにできるだけ設定やデータを現実の物理空間に忠実なものにするだけで、いいんです。まぁ、実際問題この世界の物理空間と仮想空間をどのようにするのか、という問題についてはまだ議論の余地があるかと思いますが、それでも空間を圧縮して分割する、というのはこの世の今後の答えに近いものになっていくでしょうね。また、どうすれば世界中のできるだけ多くの人が平等に等しく平和に暮らせるようになるか、という点についてはまだ工夫の余地があると思うのですが、それでも、この物理空間の空間とこの地球上にいる人口のバランスを考えると、やはり、先進国の一部の人間から、一部か半分か仮想空間に移り住んでいく必要があるというのは、どうも確かなこと、らしいです。最終的に、その選択肢に行き当たった場合にどういう手段を取るのか、はそれぞれのあなた次第。なのですが、それでもこの世の人間の選択肢には、無限の答えを導く可能性がある、ということは、まず言っておかなければならないことだ、というようにも思います。
posted by skywalker at 14:13| 愛知 | Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

その扉を開けるには

その扉を開けるには、どうしたらいいか、というとまず、思い切って、開ければいいのです。それから、開けた後に、その扉に鍵を掛けるのを忘れないようにしましょう。なぜなら、といいますと次に開けようとしたときに、その鍵を掛けたことを思い出せば、また、開けられる、ではありませんか。簡単なことですが、次に開けるために、その扉に鍵を掛けるのは、非常に重要な、こと、なのです。
posted by skywalker at 20:58| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする