2018年03月25日

紅茶と四大元素と嗜好品と

(自ブログより転載)
紅茶は、チャノキ(茶の木)の葉っぱを収穫後発酵させたもので、要は緑茶などの木と根源的には変わりないんです。まぁ、中国のウーロン茶なんかも類似する製法などからしても、紅茶扱い(今回紹介する本では紅茶扱い)されることもありますしね。まぁ、チャノキは茶の木なんですが、まぁ少なくとも遡れるところでは発祥はインド、それ以上は分からないといった感じで(吉川英治著の三国志(演義)にインドの方から伝わった緑茶という記述がある)、今日ではインド、中国の温暖な地方、ベトナムなど熱帯地域の高地を中心に幅広く栽培されていてそれをイギリスの会社(トワイニング)などが世界に広く輸出している、というのが約400年前にイギリス東インド会社がインドで紅茶を(一商品として)発掘して世界に販路を広げていった、という紅茶の近代史ともいうべき歴史の掌編の一片でもあったりするわけ。で、今回書きたいというか紹介したいのは、紅茶には産地も違えば個々の製法や特徴もそれぞれ違ったりする実に様々な種類が存在するのだが、そのほとんどが持っている特徴は、西洋の四大元素や中国の陰陽五行(まぁ、これは紅茶に当てはめるにはあまりにも難解すぎてここではおすすめしておかないが)で、きっちり分類・区分ができる、ということです。まぁ、錬金術の四大元素の概念を用いて何かしら食品であったり植物、ハーブ、その他日用品や身の回りの物質、はてまて日常の諸現象までも四大元素で区分するのは非常に難しくないこと、というかあえていえば非常に簡単なことなのですが(まぁ、実際にどうなのかは自分でやってみると早い。とりあえず四元素と対応する方角、それから時計回りで属性が廻るなどの基礎事項を知っていれば問題ない)、今回特にその中でもアッサム、ダージリン、アールグレイのよく巷で聞かれる紅茶の名前ですが、その紅茶を四元素的に区別することをやってみようと思います。(まぁ、正確な香りや味、紅茶の水色などの諸要素の分析が読みたい、という方は後述する紹介する本「世界の紅茶」/磯淵猛氏著にてお読みいただければ、と思います。電子書籍でも、出ていると思いますよ。実際、僕が持っているのはAmazonのKindle版です。)諸要素の分析は、「世界の紅茶」という本の分析を参考に、というか底にして四元素的分類を当てはめているのですが、まず、参考までに、というか初めにいっておくと、西洋の四大元素とは、ご存知の方も多いかと思いますが、大地・風・火・水の四元素(方角にも当てはまっていて順に北・東・南・西)のことで、英語ではclassical elementsともいいますが、基本的に何かに当てはめたり分類して分析したりするときは、火・水(南西が入り)、水・大地(女性)、風・大地(安定のエネルギー)、火・風(男性)といった方角を二つずつ合わせてそれぞれ間を取った分類の要素を使用します。なんでかって、そっちのほうが分類しやすいし分かりやすいから、なのですが、で、その中でも特に火・水に特徴的なものがあるのがAlternativeの男性エネルギーで、火・水・大地の合わさったものはさらに安定的な物質で男性的金属とも、水・風・大地は自然の三元素ともいい象徴的女性、方角で描いた円の右半分の火・風・大地は安定的物質で女性的金属、火と風は発散的エネルギーの象徴、で最後に火・水・風はエネルギーの象徴で象徴的男性、という分類の仕方をします。まぁ、大まかにいえば火・風は男性で動的、で水・大地は女性で固定的、火・水はエネルギーの象徴で、風・大地は安定の象徴、と見ていけば差し支えない、と思うのですが、さてさて、あまりもったいぶらずにさくっと紅茶の四元素的分類だけ見ていこうと思うのですが、さっき言ったアッサム、ダージリン、アールグレイのここでは3つですが、まず、アッサムは火・水、中心です。基本的に、これに近ければそれだけでも(他の飲み物でも)飲み口よし、ミルクとも相性よし、甘みにもあう、となるのですが、(火から水に移るエネルギーの動き、となるため)実際にも「世界の紅茶」の分析でも確かに火と水に特徴的な配分になっています。で、大雑把な、ざっくりとした見方をすれば、ある意味一番オーソドックスな種類、と見てもいいかと思います。まぁ、僕のおすすめはアッサムとケニアのブレンドで、すっきりとした飲み口で砂糖なしでもそのままでも十分甘い、というものですが、火・水から入るものは水・大地、つまり甘みや水分と相性がいい、ということになるのですが(ミルクも水・大地の属性です)、で次は世界三大茶葉にも数えられるダージリン、でこちらは火・水にさらに大地的な特徴が加わった王様と呼ぶに相応しい極めて安定的な茶葉とも言え、そのままでもいいが水・大地つまりミルクや砂糖などの甘みと足すと、さらに安定しておいしい紅茶になるともいえる茶葉の種類です。まぁ、最近では産地の困窮で値段か高騰したという品種でもありますが、さてさて、最後のアールグレイですが、こちらは語源はアール(Earl)、つまりイギリスでいう公で、グレイは恐らく名前ですから適当にいえばグレイ公ともなるのですが(語源についてはYoutubeにもそれらしい動画があったと思いますので是非英語で検索してみてください;who is "Earl Grey"?とか、私も見ていないので詳しくは知りませんが)、それはさておきこちらは香り高き火・風・大地となっております。物質的には女性的金属で人間でいえば男性的女性(反対に火・水・大地は女性的男性)、にあたるのですが、主に香りと薫りの抜けの良さ、が特徴になるかと思いますが、こちらはベルガモットやあるいはアレンジの類でいけばミントや香りのいい植物などの比較的男性寄りのハーブなどと相性のいい紅茶になりますね、基本的にそのまま飲んでもいけますが香りのいい何かと組み合わせることによりより効力を発揮する茶葉というか属性だともいえます。単純に四元素的な火・風・大地の組み合わせでいけば、一般的には解毒やあるいは緩下作用のある組み合わせ、ともなるのですが、目覚ましにもいい紅茶、ともなりますね。一般ではレモンと合わせてレモンティーとしても飲まれることも多々ありますが、それはその属性と目的によく合った飲み方だ、ということもいうことができます。あとは、火・水・風の属性の紅茶でいけばスリランカのヌワラエリヤとかが特徴的ですし、水・風・大地のものは、といえばインドの高地地帯産のやつで昔どっかで聞いたことがあるが、名前は忘れてしまったが、まぁ、確かにそういうのがあるんですよ。基本的に、属性の方角と産地の特徴、とは大元まで遡れば基本的に合っているはずですし、でもそれはいちいちその品種が出来た頃ぐらいまで昔までさかのぼっていかないと分からないし、なんですが少なくともその茶葉の品種の特徴に合った、そういった属性の分類もできるわけですよ。まぁ、ともあれ、紅茶でもなんでもそうですが四元素的分類や分析が当てはめられることは分かっていただけた、かな、とは思うわけですが、例えばコーヒーならどうなのかって?コーヒーは基本的に原産地が比較的はっきりとしていて、エチオピアかあるいはアラビアのモカだ、といわれていますしその属性的には火・風・大地です。基本的にただお湯で煮出して発酵や熟成といったプロセスというものも挟まないので加工過程で属性が変わることもありません。カカオの場合は、原産地が中南米ということもあって植民地時代に秘密のまま公然と、しかもひっそりと、原生の詳細が闇に葬り去られたという歴史もありますが、個人的には基本的には実生している木に生っている状態で火・風・大地、発酵・熟成される過程で変性して火・水・大地(甘みがよく合う)、になると見ています。まぁ、ここであげたのは三大嗜好品、ともいうべきどれも欧州列強による植民地支配と運営によって(砂糖も含めて、ことさら)世界に商品として広められ、広く一般大衆に定着した、という一見黒い歴史と裏腹、という側面を併せ持っています。まぁ、現代に戻って、最近では2017年に入って、寒冷化の傾向が著しい、ですが恐らく紅茶はまだ寒い地方でも対応できる製法を採っているので残るとは思いますが、コーヒーやカカオはただでさえコーヒー・カカオベルト呼ばわりされるとおり、産地が熱帯の限定された地帯と限られていますし、寒さの影響を受けやすい、火・風・大地で基本的に太陽の光・熱を主な成長源にするなど基本的に暖かい気候に強く依存している嗜好品というか植物でもあります。例えばコーヒーならどうなのかって?コーヒーは基本的に原産地が比較的はっきりとしていて、エチオピアかあるいはアラビアのモカだ、といわれていますしその属性的には火・風・大地です。基本的にただお湯で煮出して発酵や熟成といったプロセスというものも挟まないので加工過程で属性が変わることもありません。カカオの場合は、原産地が中南米ということもあって植民地時代に秘密のまま公然と、しかもひっそりと、原生の詳細が闇に葬り去られたという歴史もありますが、個人的には基本的には実生している木に生っている状態で火・風・大地、発酵・熟成される過程で変性して火・水・大地(甘みがよく合う)、になると見ています。まぁ、ここであげたのは三大嗜好品、ともいうべきどれも欧州列強による植民地支配と運営によって(砂糖も含めて、ことさら)世界に商品として広められ、広く一般大衆に定着した、という一見黒い歴史と裏腹、という側面を併せ持っています。まぁ、現代に戻って、最近では2017年に入って、寒冷化の傾向が著しい、ですが恐らく紅茶はまだ寒い地方でも対応できる製法を採っているので残るとは思いますが、コーヒーやカカオはただでさえコーヒー・カカオベルト呼ばわりされるとおり、産地が熱帯の限定された地帯と限られていますし、寒さの影響を受けやすい、火・風・大地で基本的に太陽の光・熱を主な成長源にするなど基本的に暖かい気候に強く依存している嗜好品というか植物でもあります。まぁ、コーヒーにはまだまだ突然変異まがいの品種改良で寒冷期のこの先、150、200年と生き残る目算が立つ嗜好品でもあるのですが、反対に一方のカカオは栽培適地が基本的に、赤道付近に限られ、あまりにも栽培とその生産に融通が利かない嗜好品でもあるため、最近深刻化しつつある国際的な需給ギャップやあまりもの在庫不足に加え、それに寒冷化でついにはおそらくあと25〜30年で世界的に生産されなくなるだろう、と僕は見ています。まぁ、皆さんにも馴染み深い嗜好品君達でもあるのですが、その大部分というか、メジャーな部分の多くは熱帯気候地域での生産に限られています。そう見ると、最近では熱帯地域の一部と見なされていた米国南部やフロリダの一部でも寒冷化の影響をまともに受け始めていますし、今後おそらく25〜30年のうちに、ほぼ完全に世界の嗜好品と食品の贅沢品事情は様変わりしているだろう、という予想は容易に立つことだろう、と思います。まぁ、これの予測は今現在の段階では個人的予測ではあるのですが、今後あと数か月もしないうちに世界でも一般的な認識になっていくだろう、とは思います。まぁ、何にしても気付かない、相手にしない、予測しない、受け入れない日本の人々には問題が終束する間際まで認識されないんじゃないか、とも危惧しておるわけですが、まぁ、実際にそうなったら食べられない、あるいは飲めない、となるだけで、まぁ今のうちいえることは、残されたこれらの嗜好品が饗される期間を出来るだけ楽しみましょう、ということだけです!カカオにしろ、コーヒーにしろ、後に人間が供するのに適用することを前提として、彼のアトランティス人が元々食べられなかった原種を品種改良して目ぼしいところに残した、とかのこさなかった、とか色々噂があるものなのですが、まぁ、供せる期間を楽しみましょう、ということだけです!人生は生きている期間だけ、ですよ!では、これにて。あ、肝心の参考にした本を載せておくのを忘れていました。「世界の紅茶 400年の歴史と未来」/磯淵猛著 電子書籍でも出ているかとはおもいますので、是非気軽に手に取って読んでみてください。それでは、また。
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2016年11月29日

交易相場の秘訣-最初から今まで(自ブログ転載)

交易相場とはある地点(主に街や村)とある地点を結ぶ物品交換である交易において、ある地点の市場のそれら物品の価格や交換レートを、実際に交易する際の売買や交換の目安となる交易の相場として見た際の若干抽象化した用語です。まぁ、要は交易する際のその参考にする相場あるいはもう一段階抽象的にそれら相場をみた際の市場全体での取引を俯瞰した、それらを想定した交易の相場を指す用語になります。早い話、交易をする際の物品の売買や交換レートあるいは取引全体の現況を指している言葉、なのですが例えばゲームであれそこで交易する人にとっては交易相場というものはたった基準価格から数パーセント動いただけでも物品の単価によっては大きく利益など成果に影響するもので、とっても重要なものなのです。また、その数パーセント動いたというその相場の上がり下がりのバイアスだけでも、今後その他の品目も含めてどのように変動していくのか、ということを想定すると、どの物品が連動してどの物品が単独の動きをするのか、といった要素も大いに関係してくることが分かります。つまり、相場というものは色々な要素が混ざり合わさって現況の交易相場があるものなのであって、その個々の品目や価格変動の何パーセント動いた、というバイアスだけでも複雑な要因を統合的に考慮すれば誰でもその後の相場の動きや大きな変動などの相場の「読み」をすることが、可能であるわけです。つまり、相場の動く要因をつかめれば誰でも相場が読める、ということなのですが(例えばの話、みんなが相場が読めてしまったら、特にそのプロで取引する人達は困るじゃないか、という意見もあるかと思うのですが、それはそもそも交易の成り立ちの話にもなりますが交易がそもそも中世近世を通しては主に海路を通る帆船で大きな取引が行われてきた、ということそしてもうひとつは、その移動や商品の積卸を含めた「取引」には何日もかかるといったような間のインターバルの時間、が常にかかったということを考慮に入れなければなりません。そうしたインターバルの時間がかかるから、こそ交易相場がある程度皆に読めてしまっても次個々が特に各々の自分が主体的に取引するまでに何日あるいは場合によっては数週間かかったりするわけで、その間にそれら要因を含めた交易相場にまつわる様々な要因で相場は動的に変動し得る、のです。つまり、「間の」動く時間があるからこそ、例えほぼ全員が相場が読めていたとしてもその間にそれら要因を含めた要因で相場が変動し得るので相場を基準にみた取引にはなんの影響もないわけで、そういう意味では交易相場もひとつの大きなゲームである、ということは言えるのかもしれませんね、話を戻します。)それは皆が相場を読めていても個々の要因で個々の売買でそれぞれ相場が変動し得る、という交易相場あるいはその地点全体での交易がひとつの大きなゲームのようなものである、ということをまず言っておかなければなりません、つまり、皆がルールを知っていてあとはその移動に何日かかかるの前提でそれら個々の売買で相場が変動するのを前提で誰が一番いい相場で売れるのか、というのを簡潔に見れば競っているわけなのですかあら、当然ある地点における交易相場そのものがひとつの大きなゲームである、という見方が非常に出来る、と思います。ちなみに、ある地点と書いたのは交易相場、つまり市場、大きな取引の中心地のある場所それぞれで交易相場は常に違い、しかもそれらが互いの要因の影響を受けながら上手く相互作用的に連動して動いていくため、交易相場といっても地点毎にまったく相場は違うわけです。まぁ、もちろんトレンドや流行による連動性は時代によっては確認できるわけなのですが、それも大きく見て同じような地方にある場合だけですし、そもそもそういった大きな地域で見た際の市場毎の交易相場の連動性を、グローバルな市場、視点、あるいはそれらにおいて常に自分たちの利益を最優先することを、グローバリズム(特に市場グローバリズム)、ともいうわけです。まぁ、今の話はこれくらいにしておいてまた中世近世に戻りますが、交易相場そのものはある地点においてはそこがその地域の大きな交易の中心地である場合はそれ自体それそのものがひとつの大きなゲーム、であるわけです。それが、ひとつの大きなゲーム、だとするとゲームには必ず大きな変動する要因、が必要になるのでそういう意味では(さて、これが今回のひとつの大きな答えですよ〜)ゲーム、交易相場そのものは「フラグ」で動く、ということです。フラグ、というのは何か物事が動くときの、論理的きっかけ、のようなものを指す言葉なのですが、交易相場は何かフラグが起こる毎に大きく変動します。つまり、多かれ少なかれ交易相場をコントロールしたい場合はその交易相場に対するフラグをコントロールすればいいわけで、歴代の利権あるいはグローバリスト達、まぁ要は支配者層ですね〜はその交易相場に対するフラグ、イベントをコントロールすることで市場をコントロールしてきたわけなのです。なんせ、自分たちが支配権を握った上である地点の交易相場をコントロールしてしまえばその地方は押さえてしまうことができるわけですし、もし、そこが世界貿易的に見て重要な地域であれば、当然、その地域からあげくには世界をコントロールできでしまうことになるわけなのです。まぁ、これが近代の市場経済的グローバリストなどの典型的な、というかもっとも基本的なやり口、なのですが、まぁここでそれにとやかく言うつもりはありませんが、とにかく交易相場、そしてそこで起こるフラグ(出来事)をコントロールできてしまえば、誰でもその交易相場、あるいはその市場をコントロールしてしまうことが、可能になるわけです。まぁ、こういうと大抵の人は空恐ろしい印象を受けるのだとは思いますが、じゃぁ、そこで支配者層とは関係のない割と普通の人々が何をやったらいいか、ということになると、何かというとその相場のフラグを知って、それら交易相場の変動を読み、そしてそれに付いていく、ということなのです。グローバリスト云々で言ったのは市場を自分たちでコントロールしてしまうことによる市場全体への悪影響の度合いの話で、決して相場のフラグを知りその交易相場全体を「意識的に」コントロールしてしまうことは悪いこと、ではないのです。意識的にコントロールする、という話はスポーツをやっている人であれば普通に分かる話なのですが常に自分の体や場、その全体をコントロールすることによって一番いい動きを引き出し、最適な結果を得る、という「意識的な」動作はスポーツには不可欠なもので、まぁ、要はそれと同じで交易相場を把握してそれらを意識的に、意識の上でコントロールすることは至って普通のこと、なのです。つまり、要約しますとそれら交易相場の把握にはそこにおけるその出来事、フラグを把握することであって、それができれば交易相場なんて赤子の手を捻るぐらい簡単に把握できるものである、ということがお分かりになられると思います。つまり、フラグを知れば交易相場は簡単に把握できる、ということなのですが、例えばそのフラグとは食糧不足や不作、疫病、好景気、不景気、戦争、あるいはトレンド、流行の底だったりするのですが、とにかくその交易相場における出来事を知ることができれば、その市場を把握し自分の意識の上でコントロールすることができるようになる、というわけなのです。まぁ、それを支配者層で、自分たちだけで意図的に、しかもそれを世界規模でやってしまうのが、近代におけるグローバリスト、といったところで、まぁ、端的にいえば要はそれを行う規模の違い、だけがあるのであって、倫理面でみれば単に、概念の取り違え、あるいはちょっと考え方を間違った、というところであるのです。まぁ、この話はこのあたりにしておきますが、要は交易相場はフラグを把握すえば変動が読める、ということなのです。ちなみに、なんでそこに行きついたのか、という理由について簡単に説明致しますと、そもそも交易相場、あるいは相場というものが原初はどういうものだったのか、ということを想像致しますと、ですねぇ話は太古の昔、原始時代に戻るわけなのですがそもそも通貨などが無かった時代に、どのように物品が取引されていたのか、ということを考えますとやはり大きな石や貝殻などが貨幣として物品の交換の仲立ち、あるいは物々交換の間の埋め合わせ、として機能していたわけなのであって、要は、そうして物と物同士を交換していた時代では等価交換である必要があるわけなのですから、ということはそれそのもののレートは中世近世における物品の単価なのであって、交易相場の相場、というものは実は通貨など特に金属の貨幣が登場してから大幅に変動するようになったもの、なのです。これは、その貨幣の総取引量そのものが物品の取引相場を変動させているから、というようなインフレーションで説明できないこともないのですが、まぁそれは本稿の主旨が変わってしまうので置いておくとして、端的にいえば実際には金属のものなど貨幣がその交換の仲立ちをするようになってから貨幣に対する物品の単価の変動をするようになったので(まぁ、これでも結局上記の説明のものと一緒になってしまいますが)早い話金属などの貨幣が登場するようなってから物品の単価、つまり相場は上下するようになったのです。また、これには少なからずとも帆船など交易のツールで少し離れた街同士でも交易路で結ぶことのできるようになったことも関係しているわけなのですが、とにかく物品のその交易市場における過不足、あるいはその交易相場における貨幣そのもの総量での物品に対する貨幣の価値など、そういった意味での貨幣的要因によって交易相場が変動するようになったのであって、それまでの、特に金属のものなど正式な貨幣が存在しなかった太古の昔などでは、あまり交易相場というものは存在しなかった(まぁ、困ったときはお互い様で何とか助け合いましょう、というのもあったのかと思いますが)、少なくとも大きな変動、あるいはそれも意図的な相場の大きな変化はあまり起こり得なかったのではないか、ということは推測できます。まぁ、正式には通貨や貨幣が存在しない以上、例えそこでの支配者層の人間でもその交易相場そのものを意図的に操作するまでのプレゼンスは得られなかったのではないか、ということが推測できるのが主な理由なわけなのですが、ともかく貨幣そのものがあまり存在しなかった時代には交易相場、というものは存在しなかったのではないか、というように思います。つまりここでの論では金属のものなど貨幣が登場するようになってから、それに対する価値の変動で(そもそも基準となる「通貨」がなければ100%を基準とした交易相場の判定そのものが、あり得なくなってしまいますからね)交易相場が正式に登場するようになったのであって、それまでの金属のものでない貨幣しかなかった時代では、交易相場というものは例えばあるとして100%基準の五分〜二割程度、つまり±5〜20%程度の状態で始まった、といえるのではないかと思います。つまり、原初の状態では交易相場は±5〜20%程度の生物学的根源的な普遍的物質価値の差(要は地球上における人間などの生物が比較的採取可能な資源の総量のこと)があるだけで、それは生物学的なものですから多少のそれらの差異はあるとして、根源的には100%、つまりゼロの状態から始まった、といっても過言ではありません。まぁ、それは一度始まって現代に至るまでしてしまえばどうでもいいことなのかもしれませんが、逆に全てがほぼゼロの状態から始まったのではないか、といえるということは、それらがほぼ全て何らかのフラグ、つまり出来事によって変動してきたのではないか、ということは普通に平気でいえるわけです。まぁ、細かい説明は、ここまでにしておきますが、交易相場とはフラグによって変動する、ということともうひとつは、それら交易相場が原初はほぼゼロ、つまり基準価の100%から始まったのではないか、ということを覚えておいてほしいと思います。それでは、失礼します。またー。
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2016年10月19日

戦いにおける戦術についてTips

陣形や戦術についてあれこれ書いてきましたが、具体的な戦術の動き、あるいはそれをゲーム的観点で見た場合の戦術とは、つまりこうです。まず、戦術というものはどんなゲーム、戦いであってもほとんどと言っていいほどフランキング(翼攻撃)で決着が着くものなのですが(詳しくは「歩兵と騎兵、中世の陸戦戦術」をご覧ください」)、それは何故かというと、単純に歩兵にしろ騎兵にしろ実際の戦闘時は鎧などもあり動きの重いものなので、そういう意味では普段通りの機動力じゃないところへしかも正面の敵と交戦中に真横から突撃を食らうとどうなるか、というと、必ずと言っていいほどその軍隊は狼狽、します。何故かと言えばそもそも戦争における軍隊というのは職業軍人であっても生身の人間が金属の鎧を身に着けて行うものなので、そういう意味では単純にゲームによくあるような部隊の攻撃力や防御力・機動力などで勝敗が決まるものではありません。戦闘において一番戦況を左右するものは、その戦っている兵士個々そのものの士気であって、そういう意味では戦場において部隊規模で狼狽したり混乱させられているようでは、ほとんど死に近いといってもいいほどなのです。そういう意味で戦況を動かすのには相手部隊の士気にダメージを与えるのが最も効果的で、戦場において戦況を左右するものはほぼ間違いなく十中八九士気である、といっても過言ではありません。その士気単位でダメージを与えるのに最も効果的、なのがフランキング(翼攻撃)で、これは機動力から騎兵で行われることが多いですが別に歩兵でも構わずとにかく戦場において相手に横や背後を取られる、あるいは狼狽・混乱させられる、というのは受ける側にとって最も致命的、になります。下手したら、盾を持った状態で敵部隊の弓の斉射を受けるよりもしんどいとは思うのですが、とにかく物理的にはほとんど損害を受けていない状態でも、戦場で士気をやられるというのはほとんど圧倒的に戦況を決められてしまう原因にもなります。(もちろんこれについては現代のスポーツでも同じで、監督やコーチなどのプレーの内外でやるべきことは選手のパフォーマンスを最大限に引き出す、という意味でもその士気、あるいはコレクティブ・エフィカシーともいいますが、選手の自信やモチベーション、やる気を引き出してやることにあります。そういう意味では古代も中世も、近世も現代もほとんど変わらない、ということになるとは思うのですが)古代から中世、近代までの戦いにおいても戦場の戦況を決めているのは圧倒的に士気あるいはその他戦場の背後要因であることが多く(大体同じ年代の似たような列強間ではさほどその基礎的な軍隊の戦力差があるとはいえないであろう)、そういう意味では士気というのは戦場においても、あるいは庶民の日常生活に(この場合はモチベーションともいうが)おいても圧倒的に重要な部分を占めているのであり、逆にいえば戦場では相手の士気を攻撃することで最も効率よく勝ちを導ける、ということなのです。そういう意味ではフランキングが特に中世・近世の陸戦におけるひとつの戦術のキーのようなものになっていくのですが、そのフランキングを実行する際は大抵の場合自軍本隊(指令部隊)から見て必ずといっていいほど右側から仕掛けると最も効果的、になります。ひとつは、地球上の人類は全体的に基本的に右利きが多い、からで弓や弩、鉄砲を撃つ際なども自身から見て右から左に標的を追った方が当然命中させやすくなります。まぁ、これはFPSなどをやればよく分かると思うのですが、大抵の場合は右利きが多い以上、利き目に関わらずある程度重い弩や銃などの武器は利き手側から逆側に追って照準を合わせたほうが命中しやすくなるので(これには射撃の際の衝撃を吸収する動きと筋肉の動きも多いに関係していると思われる)、そういう意味ではフランキングを実行する際は、必ずといっていいほど自軍から見て右側から仕掛けたほうが、断然成功率が上がります。もうひとつ、右側から行く理由としては陰陽五行において北を上にした場合物事の流動性、スムーズさを司る水と風、それから勢いを司る風と火の方角がそれぞれ順に水・風・火が北・東・南に対応しているので(大地は南西、金・全は西)そういう意味では基本的に勢いを伴う事は北を上に据えた場合は右側から仕掛けるほうが断然成功しやすい(というか少なくとも縁起はいい)のであり、またさらにそこから派生させると狙撃、狙い撃つ、慎重な攻撃は主に象徴が風と水であるから北東の方角から仕掛けたほうが効率がいいのであるし、火と風に象徴される突撃・突入・勢いのある攻撃、などは陰陽五行でいえば南東の方角から仕掛けたほうが成功率が高い、のです(実際に三国志演義の徐庶が指揮を執った博望坡の戦い、では総大将の劉備が趙雲に対して曹操軍の将軍曹仁の敷いた「八門金鎖の陣」に対して手勢五百騎を与え「東南の方角より馳せ入り、西へ西へを駆け散らし、また東南の方角へ(風と火)と取って返せ」と指示している)。まぁ、風水的な縁起としてしまえばそれまでなのかもしれませんが、ある地方では例えば太陽の通る方角は決まっていることからも、そこから考えれば方角とそれに付随する属性が物事の細事、あるいは審美に関わっていることは想像に難くないはずです。大抵そういった古代からの習慣や言い伝えのものは、最先端にいくほど科学的に観れば意外と根拠のあることが多く、そういう意味では陰陽五行もバカにならない、というよりはむしろすごく実践的でとてつもなく使える、のです。また、これらについては陰陽の向き、ということも影響しています。

(右回りである;これ、北が下だな。南がこの図では上。)
ということからも右側から戦術、あるいはフランキングを仕掛けたほうが断然成功しやすい、といえるわけでまた相手も同じ習慣に則っていれば当然右側、つまり向かって自軍の左側から何かしら仕掛けてくるわけで、そうだと予めある程度分かっていればそれに対して事前に準備しやすくなるので(左を装備や地形などで守りを固め、右から打って出るように備えておく、など)、またお互いがそうだとある程度決めていれば全体的に戦況が動かしやすくなる、ということもありそういう意味では習慣のようでもある程度は理に適った、ことなのです。まぁ、それを予め知った上で逆に相手の全く裏をかくことも平気で行われるのが実際の戦場、というものなのですが、そういう場合でも特に東アジアの事象となりますが軍隊を動かすなど、大事の際には縁起を担ぐことは必ずといっていいほど通る道、なので逆に縁起でもないことはそういう大事の際にはやらない、といったことは戦時の決まり事、のようになっている節、もあります。まぁ、とにかくフランキングなど戦術は古今東西問わずとも右側から仕掛けたほうがいい、ということなのですが、このように様々な要因が絡んできている、ということは言えなくもない、ということです。この項の主張に関しては以上です。 (中世・近世ヨーロッパ歴史研究考証wikiより転載)
ついき(わりとじゅうよう)
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2016年10月12日

陰陽五行と錬金術の四大元素

はい、なにか今更感がありますが陰陽五行の特に五行と錬金術の四大元素に関するものです。五行とは、下図を見ていただければ分かるかと思いますが、金(全・エリキシル)・水・木・火・大地の五元素とも呼べるもので、金は特に完全物質とも、全ての属性を含む、いわゆるエリキシルのようなものだ、と取ることもできますが、
太極図1.png
画像はいずれもYahooの画像検索より引用
new-inyogogyo2.png
五行、中国でいういわゆる五元素は、五行相克といって相生・相克とよくいうポケモンやファンタジーあるいはRPGなどで出てくる属性の相性のようなものが存在します。すなわち相生は上図下の五行の円の外周部分の矢印順序のようなもののことで、相生、つまり矢印の元から先へとそれぞれの属性がその先の属性を生かす関係性のことを指しています。逆にいえば、これらの相生の関係は逆を取るとRPGやポケモンのような属性の「この属性がこの属性(タイプ)に強い」などといった相克のような関係性にも取れますし、上図下のような相克の関係性においても、それぞれの自然の仕組みがよく分かるのではないかと思います。ついでいうと、といってしまってはなんですが、実はこの五行の木、つまり自然に当たる部分を風に換えてしまうと、ぴったり錬金術の四大元素と同じように取れることがお分かりになると思います。まぁ錬金術の四大元素も上図下の五行の木を風に、金を全あるいはエリキシルと入れ替えるだけで同じような相生・相克の関係性と取ることができるのですが、時と場所が違っても、人間が長い歴史を積み重ねればどこも解釈が似通ってくる、ということの典型、でしょうか。それとも、超古代文明が遺した古代の叡智が、姿や形を変えながら人類の長い歴史に遺ってきた、ということなのでしょうか。まぁ、どちらにせよ東洋と西洋でも(ちなみに西洋の錬金術は元はあちらから見て東洋、東、つまりアラビアや中近東発祥のもの)長い年月を重ねれば考え方が似通ってくる、ということなのでしょうね。上図だけ見ても分かる、というようにそれぞれがシンプルな象徴のようなものにまとまっているのも特徴的ですが、まぁ、現代に至るまで姿・形を変えながら陰陽五行や錬金術の四大元素が残っているとは、感動的でもありますし時の重さを感じさせるもの、でもありますね。

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2016年09月17日

生命エネルギーの賜物-火の扱い方と文明の危機

生命エネルギー、と書きましたが錬金術の四大元素の火の属性は、まさにエネルギーそのもの、です。生命体に火のエネルギーが含まれる場合は必ずといっていいほどその生命エネルギーを表しているのですが、一方で、人間がそれのエネルギーを利用し始めたのが、いわゆる火、炎です。人間の文明が芽生えたのはそもそも火を利用したから、ともいえるものですがその後、一方で人間は火薬の利用を始め、銃・大砲など銃火器の登場、それから燃料を利用する蒸気機関、その後は動力源、エンジンを発明して、これを利用してきました。まぁ、その後は軍事兵器で爆弾なんかも作られるようになって、普通に落とされる時代にもなってきているのですが、これらはすべて火のエネルギーを上手く利用したもので、人間は火のエネルギーと付き合いながら、今までなんとか文明を築いてきた、わけであります。ただ、ひとつ引っ掛かるのは、タイトルで火の扱い方と文明の危機と表したように、これら火のエネルギーを灯りや熱源、あるいは加工の道具、物を乾燥させたり、といった生活に必需の範囲で利用していた分にはなんら問題無かったのですが、それを英語でいえばまぁ、インフルエンス(influence)、いわゆるインフレ、ですね熱量をある一定基準以上生み出す、いわゆる熱量の生み出し過ぎ、やりすぎの域まで人間が行くとどうなるのか、というとさっき出したように銃や大砲などの銃火器、あるいは爆弾やそれを落とす軍用機のエンジン、挙句の果てはミサイル、核ミサイルなど錬金術ではある意味絶対禁忌とされている「他のものを破壊してしまえる力(オーバーキル)、オーバーパワー」となってしまうのです。まぁ、物質の成り立ちを探求する錬金術的にも熱量的に観ても当然NGなものなのですが、他のものを破壊してしまえるレベルの熱量、あるいは言い換えればエネルギーは、どう考えても行き過ぎです。まぁ、これが中世までであれば、火の戦争への利用といっても普通に熱源レベルか、せいぜい火矢や投石器の火炎弾、あるいは城を守るための油を城壁の上から注ぎ落す、など熱源としての利用を超えない、ものでした。それが火薬の伝来に始まって銃・大砲など銃火器が広がっていって、結果的には特にヨーロッパにおいて戦火に火がついたわけですから、火薬の発明はその後化学肥料の発明にもつながりましたからある意味全てが必要悪だともいえないものの、それでも中世から近世にかけての人類・地球に大きな災いをもたらしたことには、違いありませんでした。物をただ燃やすレベルからちょっと火を近づけるだけで「爆発」するレベルの非常に好反応な火薬、を発明したわけですから、当然それは武器として戦争に利用、されます。しかしながら人間の場合は概して極大な力を得るとそれを使いこなせないのが分かっていたのか分かっていなかったのかどうしてもそれを使ってしまう傾向にあります。元からその発明がその後の文明・社会に与える影響を十分に考慮できたいたのであれば、その後も何らかの形で上手くその力も制御することが可能だったのでしょうが、結局のところ裏でどういう力が働いていたのかは知りませんが人間の場合は、「地球上で戦争という形でそれらを盛大に利用する」という愚かな手段に出るしかなかったようです。まあ前時代の人間が何をしていたのか、なんてのはおいておいてですね、今の人間がするべきことはそれらの制御なわけですから、それをこれから観ていこう、とも思うわけですが、錬金術の四大元素的にいえば単純に観れば火のエネルギーというものは、それを人間が有為に生み出したのを前提とすればそもそもその場のその他の水・風・大地のエネルギーの総量を越えたりしなければ、そもそも文明的には失敗続きの人間にも十分制御、可能なものなのです。当然、兵器を製造する際にはそれぞれ水・風・大地など火以外のエネルギーも消費することになるのですが、それはおいておいてそもそもその場において「過剰な」火のエネルギーを生み出す際でも、前述した通り水・風・大地などのその他エネルギーの総量を越えなければその場にいる人間に十分にそれらは制御可能なものなので、錬金術的なエネルギーで観てもそこまで問題はない、わけです。もちろん、火のエネルギーを集中的に生み出すこと自体、そもそも他の三元素のバランスを崩しかねない、非常に危険な行為である、ともいえるわけなのですが、それ以上に、単純計算で観ればこの世界にとってそこまで問題ではない、わけなのです。ところが、人間が今まで生み出してきた、いわゆるそれら「禁忌の発明」はその火のエネルギーを単純にいえば極大まで増大させる方法、でもあったわけで錬金術的に観れば、そんな危ないことをすれば人類の文明が遠からず未来危機に晒される、ことは誰にでも目に見えていたでしょうし、当然その場の科学者だって何人かは反対したでしょうが、それでもそれを結果的には「やってしまった」のが今の今日の人間文明社会、だったわけです。もう、こういうと人間が使う火のエネルギーは悪いことずくめばかりだ、と思われるのかもしれませんが、決してそうではなく、前述の通り、その場の他の水・風・大地の三元素の総量(実際には等価ではなく元素の周期的に観れば火3、水2、風1、大地4、なので普通にいけば火が他の三元素の総量を越えることはない)を越えたりしなければその場の人間にも制御可能なものでもあるので(むしろそれらを下回っている状態であれば有為に制御、そして利用できると考えられる)とにかくその場にいる人間が錬金術的観察を怠らずにその場のエネルギーを制御してやればいい、だけなのです。それを知ってか知らずしてか、過去の人間は恐ろしいそして悍ましい兵器を作ってきてしまったわけで、この尻拭いを誰がしなければいけないのか、というと当然膨大な火のエネルギーの処理には当然莫大な火のエネルギー及び他の三元素のエネルギーの消費も伴わなければならないので、といって結局のところ、その後の未来の人間、なわけです。こうやって観ていくと、本当に火のエネルギーはこういう風だといいところなしだなぁ、となっても仕方ないところ、なのですが前述の通り他の三元素、いわゆる水・風・大地、すなわち環境で制御が利いていれば人間にも十分に制御可能なものだ、とは書いた通りですが、それでも膨大になった火のエネルギーは当然誰にでも制御できるものではなく、むしろそんな人物はいない、と思った方が当然よい代物、なので結局のところそんなものは作らないに越したことはないですし、そもそもそういうものが、いわゆるああいう恐ろしい、悍ましい(大量破壊兵器含む)代物だったりするのです。そうとくれば、単純にこれ以上作らなければいいだけじゃないか、とくればいいですが、人間の文明の場合はそうはいかず必ず大量の火のエネルギーを生み出すとそれを利用しようとする、立場の人間が現れてくるわけで、まぁ、それについてはこの場では言及するつもりもありませんが、とにかく火のエネルギーが膨大にならないようにするのがまず第一、です。それから、火のエネルギーは前述の通りのように水・風・大地などのエネルギーがあればエネルギー的に十分還元可能、なので(還元可能、ということは吸収・制御可能だ、ということ)とにかくその場においての総量がその他属性の総量を越えない、ようにすることがまず必須だ、ということは言っておかなければなりません。そのためには火のエネルギーの場合は事前にどれくらい使うのか、でどのくらい生み出すのか、をまず正確に計算していなければいけないところで、そういった錬金術的観察、それから計算無くしては、まず安全に扱えない、ものなのです。もちろん、今の現代の私たちの生活では非常に有益に制御された状態でありますから、まず下手っぴでもよほどのことでもない限り大丈夫なのですが、それでもコンロなど爆発の危険性も必ずしもないわけではないわけで、そういう意味ではいずれの場合も何も知らない人にとっては危険な代物である、ということにはまず変わりはない、です。ただ、他の自然物の例にもれずそれらを比較的安全に学ぶ方法もないわけではないわけで、例えば野外活動などで実際に焚火などで火を扱ってその物をその目で見て、触れて感じることがまずすべてであり、逆にいえばそういった手段でなくてはとてもではありませんが、ズブの素人の人間に火はまともに安全に扱えたもの、ではありません。やはり比較的安全な環境で、他の三元素の例にもれず実際に扱って覚えることが一番、なのですがそれすら、怠ってしまうようでは色んな意味で今後の人類は危うい、ですし逆にいえばそういった地道な活動を行っていくことで、人類全体の改善を図れる可能性だって、あるわけです。まぁ、私は人類が比較的まともなそっちの方向に進むと思っていますが、何も知らないがゆえに危険なことをする人間がいることも、事実です。まぁ、そういった無知が世の中をダメにするのは人類に限ったことではありませんが、それでも例外でもなく他人事でもないので、その点そういった地道なところから、よりよい人類としての在り方、を人類としては探っていきたい、ですね。
posted by skywalker at 18:49| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする