2016年05月25日

シミュレーションと実践の差分―歴史を知りその状況を動かすには

シミュレーションと実践の差分、ということですが今日はシミュレーションゲームが如何にして活用できるか、というそんなところです。シミュレーションといってもまぁタイトルからみて歴史のことだとほとんど分かっているかと思いますが、要は歴史シミュレーションゲームが如何にして歴史の考証やゲーム的分析に使えるのか、というところです。まず、始めに整理しておくとシミュレーションおよびシミュレーションゲームというものは現実に存在した関数を仮想で再現したもの、及びそれが断続的に再生可能、再生操作可能だ、というものについて主に指しているように思います。つまり、ROMのように連続再生可能でありながら、RAMのように再生中に書き換え可能でなおかつ、書き換えた内容に応じてある一定の関数のような法則に従って後続の内容が変化する、これがごく機械的、関数的に見た場合の歴史シミュレーションゲーム、あるいはごくそのもののシミュレーションとして扱った場合のゲーム、そのものなのです。というと少し分かりにくいかもしれませんが、まぁ、要はある程度の記憶媒体でありながら連続再生中に書き換え可能でしかも一定の法則性に従ってその後の展開が書き換えられて行く……これが歴史シミュレーションゲームを関数的に見たものです。しかしながらこれではちょっと分かりにくいかもしれませんが、そこはおいておくとして重要なのは再生媒体でありがら常時書き換え可能だ、という点です。というかシミュレーションゲームなのでプレイした傍から展開が俄然変わっていくことになりますが、重要なのはプレイした傍から書き換え可能だ、という点です。ここで例え話ですが、例えば歴史シミュレーションゲームをプレイして相当の努力で史実とは120°ぐらい違う展開に書き換えたものをセーブしたとして、そのセーブデータ(の中の「史実」)と実際の歴史とは、当然出口から入ってもはたまた入口から入っても到底違うものだ、ということになります。これは当たり前ですが実はここが重要でどちらから入っても歴史シミュレーションは史実ではないのに存在し得るのに、史実という実際の歴史の間に挟んでみてもそう大してパッと見では違和感が全く感じられない、という点になります。これは連続再生可能でありながら、同時にその最中に常時書き換え可能である、ということの証でもありますが、問題はそういうところではなく、歴史シミュレーションゲームという仮想の媒体そのもので、一個の仮想空間として独立している、という点にあります。まぁ、仮想空間として独立しているかどうか、とか仮想現実との違いは、という点については「〜物理法則に忠実でないといけないのか」の稿を見ていただければ分かるかと思いますのでここは割愛するとして、重要なのは、要は一個の仮想空間として歴史シミュレーションゲーム一個そのものが独立している、という点です。これはどういうことを表しているか、というと「史実」という一応実際に記憶されているだけの「実際の」歴史が存在するわけですが、それと連続するものであるにも関わらず歴史シミュレーションゲーム、という一個の仮想空間として間に挟まれても連続可能で、しかもなおかつ再生中に書き換え可能だ、という点です。これはつまり、「史実」とは切り離された歴史でありながら、そこでもし正確な関数を打ち出せば(辿り着けば)現実にもその後の歴史に応用可能な「相応の」「史実」を作り出すことができるのです。まぁ、早い話歴史シミュレーションゲームという名前そのままの通りに「歴史は変えられなくても」「その後の望ましい歴史を創り出す」ことができるわけで、連続再生中に書き換え可能だ、というのはこの点で難しいことを抜きにすると「シミュレーションで歴史を考証することができる」、ということなのです。たったこれだけの結論、になってしまいましたが「望ましいもの(ここでは歴史)」を創り出す、ということは考証することでその後の在り得る、かつ望ましい歴史を仮定付ける、ということを指しており、考証とは常に仮想空間にて行われることである、ということの証左でもあるわけです。まぁ、これでゲームにしろ仮想空間で歴史なりなんなり考証することの大切さ、重要さが分かっていただけた、かと思いますが重要なのは、「何が変わったのか」、ではなく「何が残ったのか(実際の歴史にそこで戻るのではなく関数的に何が残ったのか、ということ)、考証の結果何がどうなって何が可能なのか」、という点なのです。歴史にしろ時間を遡ることは基本的にできませんから、遡って考証しなおすにはどうしても仮想空間が必要になるわけです。そういった媒体が歴史シミュレーションゲームであり、またその他一般的にいうシミュレーションゲーム、あるいはゲームなどの役割である、ということです。

―追記

終わりになりますが例えどれだけ詳しい歴史シミュレーションゲームであったにしてもゲームの媒体的にプレイヤーの目の前に表示されている情報は史実のうちのほんの2〜4%です。2〜4%あればまだいいほうで(実際の歴史が何%ほどの史実を含んでいる、あるいは残しているのかは置いておいて)残りの96%強はどうやっても見えないまま、です。逆にいえばプレイヤーが操作可能なのは実際の歴史のうちのほんの数パーセントで、残りのうちの96%以上は背景の情報から引っ張ってこないといけないのです。そもそもシミュレーションゲームにおいては見えている情報からしか操作可能な部分、あるいはそのタグを引っ張り出せないので、何でもそうですが常に見えている、あるいは分かっているのはほんの数パーセントで残りの96%以上は背景の情報から引っ張ってこないといけない、のです。これは何を表しているかというと、単純に歴史シミュレーションゲームにしろ何にしろ目の前の見えている情報はほんの数パーセントなので重要な情報は見えていない背景の残り96%からしか引っ張ってこれない、ということなのです。まぁ、見えている世界からしかではなく、物事を考証するときは常に目に見えていないその背景の世界から情報を引っ張って来ないといけないということの例えなのですが、人間の見えていない世界がいかに多いのか、ということとその脳の盲点のようなものを前提にするのなら、やはり実際に歴史を考証するのなら実際にシミュレーションをしないといけない、ということの喩え、なのですね。ただ、漠然と見てその目の前の歴史にしろシミュレーションを解決しろ、といっても誰しも中々難しいのが本音だと思いますが、逆にいえばそれらを解決するには残りの96%の情報をその背景から引っ張ってこないといけないのだ、ということなのだろう、ということなのだろうと思います。
posted by skywalker at 17:15| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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