2016年03月08日

ゲームは「知識」がないと動かない

ゲームは、知識がないと動きません。こうして書くと、「なんだ、当然だな」のように思われるかもしれませんが、実際問題ゲームというシステムにおいてのそれはかなり大きな役割を果たしています。ここでいうゲームとは、交易・取引・経済・社会システム・政治などのほぼすべての特に社会的事象、あるいは行動科学と呼ばれるものにおいてのゲーム、物事の形式を指しています。世の中
ほぼすべての物事はゲームですし、ゲーム理論という数学の複雑系の一分野ではそれらがすべてゲームで解決できる、という解釈の仕方をします。世の中はスポーツと同じ、言うなればすべて「ゲーム」なのです。
ゲームは、知識がないと動かない、というように書きましたがそもそもそれをざっくばらんに説明してしまうと、ゲームはシステム、仕組み、入れ物だから、なのです。構造論が古くなって久しい世の中ですが、今だにゲームは世の中のシステムとして動作しています。システムがいけない、というわけではないのですがそもそもシステム論のそれシステムには限界があり、システムの中しか理解できない、そのものの中にしか通用しない、という論理上の欠点があります。それをほぼすべてを「ゲーム」とすることで(ゲームであれば、終わりがある、ということになります。システムに限界があることとそれがひとつのものである、と数えられることからもゲームという考え方は上手く世の中の仕組みを説明できている、と考えられます。)説明することに成功したのがゲーム理論、なのですがこれは「空」にもつながる考え方です。ひとつのものに始まりがあって終わりがそれぞれあるのなら、それはゲームであるし「そこにしかない」、という空の考え方にもつながります。空は仏教、哲学用語で、有と無を包摂する概念です。あるともいえるし、ないともいえる状態を表した言葉です。つまり、ゲームは世の中の事象を説明するのに最もすぐれたツールなのです。
ゲームは、システム、仕組みだからそのままでは動かない、ということなのですが、例えばこれは、ガソリンの入っていない(供給されていない)エンジンと同じ、です。そもそもある動力を得てそれを仕組みとして動かすのにはまずエンジンに当たる部分、あるいは動力源が機械にしろ、世の中の物事では必要なのですが、エンジンの場合でも燃料がなければ動力源を動かすことができません。まぁ、これは機械のエンジンの場合だとそもそもガソリンなどの燃料を燃焼して動くので当たり前なのですが、とにかく燃料が入っていないと(つまり動力源を動かす動力がないと)そもそも動力源は動かない、のです。世の中の仕組み、システムとしてのゲームにそれを当てはめる、と世の中の仕組みや大枠を理解するのには、ゲームを理解して始まりと終わりがあるんだ、という事を悟ればまずは十分ですが、その次に実際にそれに関する知識がなければゲームはシステムのまま終わってしまいます。まぁ、プレイヤーがいればそうはならないのがゲームなのですが、実際のサッカーの試合よろしくゲームの枠組み、システムだけでは当然試合の中身などはないわけです。そうなると、全体の大枠、仕組みを理解した後にもっと重要になってくるのは、中身の知識、つまりゲームを実際にプレイするための知識だったりそれに関する知識だったりそれを実際にプレイするのにはそれに関する知識、が必要になってくるわけです。となると、知識がないとそもそもゲームはプレイできないことになりますが、例えば交易のゲームでもそうです。電子ゲーム上で、いくら交易をしたからといって(例えばそういった完璧な交易ゲームが今の世の中にあったら、の話なのですが)そもそもゲームで仕組みを理解できても中身の知識は、実際の他の知識とゲームを撚り合わせて理解するか、それか最低限本で読むなどして実際の知識を得るしか方法がありません。電子ゲームの使い方としては、そうしてゲームの仕組みやパターン(はゲーム内で再現できるとして)と実際の知識などの断片的な知識を撚り合わせて理解するしかありません。そもそも、特に今の電子ゲームではそうですが、ゲームの役割は仕組み、枠組みを提供することだ、というような認識がされている気がします。そもそも、よほど個々の情報量を詰めないと実際の世界はシミュレーション的に再現することも覚束ないわけなのですから、最低限のシミュレーションとして交易を再現するのにはやはりゲームの場合は仕組み、枠組みだけあればできるわけです。あとは、時代や月日、場所などを特定する情報があればいいわけです。ゲームを動かすのには、知識が必要ということですがそもそもそこの「知識」とは実際の知識を指しているわけですから、ゲームのシステムと知識の撚り合わせというよりは、むしろ実際の知識がいかに多く豊富にあるか、ということが電子的であってもゲームを上手くプレイする(あるいは理解する)というのが必要になってくるわけです。実際の他の世の中のゲームでもそうですが、実際の中身の知識があることが、仕組みを理解することだったりゲームをプレイするのには必要になってくるわけです。そうなると、ゲームは中身の知識、あるいは知識だったり情報がなかったりすると、動かない。ゲームは仕組みだけで、中身がないと動かないわけなのです。システムがあっても、それの動力になる「中身の知識」がないとそもそもゲームは動かない、わけなのです。
posted by skywalker at 12:05| 愛知 🌁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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