2016年02月24日

シミュレーションとリアリティ

シミュレーション、とリアリティということだが今日は如何にシミュレーション、ゲームを上手く活用するか、ということである。いきなり結論で申し訳ないが、シミュレーションゲームをやるにはリアルの空間の知識が絶対不可欠である。そもそも、リアルで認識しなことのないものは仮想空間でもほぼ認識不可能で、見たことのないものはほとんど認識不可能なのである。この辺の科学は苫米地英人氏の脳機能化学の本が詳しいが、それは置いておくとしてシミュレーションゲームをやるにはリアルの知識、要は十分に臨場感を持ってやらないと、そもそも仮想空間、ゲームでの出来事はほとんど理解不能なのである。多少解釈できたとしても、それは表面上の解釈にすぎず、しかも大変不幸なことに日本のゲームは事実や史実、リアリティを適当に捻じ曲げて史実を伺え知れないようになっているものも多い。史実の出来事が原形を留めておらず、ゲーム会社の都合のよいように編集されてしまっているのである。以上のような問題点については、まぁ放っておくしか手はないとして、問題はゲームをやるユーザー側である。本来なら十分な情報を提供するはずの、あるいはそういう役割であるはずのゲーム会社側がそもそもそうして、半ば公然と歴史の歪曲を行うわけなのだから、当然何も知らないユーザーは何をすべきか、というとまずは自分で本を読んで十分な歴史の知識と、臨場感をつけること、である。当然、ゲーム会社側も人間であるので、最初から必ずしも歴史を歪曲しようなんて考えていないかもしれない。もちろん、史実を多少いじってしまうのもゲーム的要件か都合によるもので、必ずしもそれ自体を目的としているわけではない。とするならば、それを知らずにやってしまう、あるいは元からあまり歴史やその史実に対して知識のないユーザーがまず何をするべきか、というと十分に知識的なフィードバックができるように、まずは歴史や史実の出来事をはじめ本を読み十分な知識をつけることである。よく、歴史のゲームにも関わらず、その史実のゲームとは関係のない部分で自分の煩悩に基づいた、「ゲームそのものを批判する」レビューを見かけるが、そもそも歴史のゲームは史実を隅々まで細かく知らないとできないわけで、特にものによってはそんじょそこらの薄っぺらい小説を読んでも分からない、のである。実際、頭の中で場面を再現できるぐらい臨場感を持てないと、そもそも歴史のゲームなど楽しめるわけがないのであって、三国志の最新作のようにゲームとは関係ない部分、あるいはゲームのシステムそのものにけちをつけるレビューが多いのは、まさしく(特に今の世代が)ある作品をプレイするのに「まったく必要な予備知識も臨場感も付けずに」それをやっていることの、漫然たる証拠、なのである。だからといって、じゃぁどうすれば、ということになるのだがそのためにはまず出来るだけ原本に近い状態のものを読むこと。電子書籍を使えば割と簡単に手に入る。それから、ヨーロッパの植民地主義的進出時代のものであるなら、より原型に近く再現度の高い、海外のゲームをやってみること。英語だからといって、躊躇していてはいけない。何よりゲームは英語を並行して覚えるのなら使い方によっては相当いいものであるし、何より当時の言語にどちらが近いか、というと当然英語のほうなのである。わざわざ日本語で出ているヨーロッパの歴史ものは、逆にほとんど歴史的事実を何も知らない今の日本人に都合よく間違った史実や認識を植え付けるために製造され、出ていると覚悟したほうがいいので、結局は自助努力で少しでも本物に近づきたいのなら、間違いなく英語のゲームはやっておくべきである。本物などどうでもいい、という人もいるのかもしれない。だが、よくよく考えてみてほしい。史実の事実抜きの歴史など、全くありえないのである。というか、そもそもいくら歴史ゲームといえど基本的にはゲームの中では史実の出来事しかプレイできないので、ある。都合よくゲームで知識が付くと思っている人がいるかもしれないが、そういう場合は事前に十分に知識があって当時に臨場感もある程度持てる人だけが、知識を付けることができるのである。逆に、まったく歴史の知識がない人がやってしまえば、それこそ携帯電話をいじる原始人よろしくちんぷんかんぷんで、ほとんど最初のうちは全くまともにプレイできないに違いない。逆に、本人が意識していなくともどこかでそれに関する知識を得たことがあるならば手取り足取りで徐々にできるようになっていくのかもしれない。だが、ゲームをやる以上、やれる時間は限られていると思うので、やはりその有限の時間を最大効率に生かそうと考えるのなら、事前に知識や背景の時代に関する臨場感は、十分につけておくべき、なのである。全く知識のない人だから、ゲームをやるな、とは言わない。手取り足取りでも覚えることができるのはおいておいて、そもそもゲームをやろうと発起した側も本当は知識が欲しくてやっているはずである。もちろんある程度予備知識がある人が歴史のゲームで新たに習得しよう、ということは否定しない。だが、ゲームを最大限に生かすのなら、やはり最低限の知識と臨場感を持てるほどの予備知識は、持っておくべきである、というように思う。
posted by skywalker at 17:45| 愛知 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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