2016年02月23日

移民と世界情勢

移民と世界情勢ということですが最近移民のニュースがひっきりなしになって久しいですね。主要メディアも報道を抑えているのか、あるいは一時期のピークは過ぎたということなのか、英BBCのアプリを見ていても移民のニュースがトップで報じられることは少なくなってきているようにも思います。ただ、それとは反対にシリアなどで爆弾テロ、あるいは空爆などで無実の市民が大勢犠牲になっていく現状は今も変わっていません。ということは少し脇においておいて、今日は移民と世界情勢ということです。簡単に結論をいえば世界情勢の中心地あるいはトレンドに従って移民は動く、ということです。歴史に残っているような大きな移民に限らず、小さなほんの一部の移民でも、移民そのものが世界情勢のトレンドの移行を指し示しているのです。今回のケースは、明らかにそれ以前の50年100年の歴史でヨーロッパに中近東あるいはアフリカ諸国が痛めつけられてきた歴史もあり、ヨーロッパもある程度移民を受け入れざるを得ない理由もあります。経済的な格差が理由だとも見受けられますが、それ以上にもしそうだとしたらそれ以前50年100年の歴史で中近東や北アフリカの国々が経済的にあまり発展しないように、あるいはヨーロッパ列強帝国時代にその後の発展を抑えつけるような政策がいくつか行われてきたのも事実です。今回の移民のケースでヨーロッパにすべて責任転嫁してだから受け入れざるを得ない、という見方をするのは少し早計だと思いますが、それでもそれ以前に痛めつけられてきた民族あるいは文化圏に移民が殺到するのは、珍しいケースだともいえます。裏でどういう事情があるかは詳しくは分かりませんが、それでも今回のシリアを中心とする移民の大移動は歴史的なそれと比べるとちょっと特殊なケースであるかもしれない、ということは言えるわけです。
話を元に戻します。世界情勢のトレンドの移行に従って、移民は移動する、と書きましたが、これは特に中世・近世ヨーロッパのケースに特に当てはまることかもしれません。歴史上の公の記録には残らない、そんな少数なものから隠れたものまで、結構移民は常時たくさんいたと思われますが、それを含めそういった移民の移動の際に必ずキーになるのが、というかもうこれは答えなのですが世界情勢のトレンドの移行、つまり世界の文化あるいは情報の中心の移行なのです。東ローマ帝国、つまりビザンチン帝国が滅んだ際もそうですが、近い宗教であったこともあると思いますが、恐らくヨーロッパにも移民が流れ込んだことでしょう。また、1492年にスペインでグラナダが滅ぼされ、レコンキスタが完了した際もスペインからユダヤ人が大量に追い出されて(あるいは異端審問にかけられて、財産没収や火刑もあった)います。このときのものは財政上の理由から何かしらの口実をつけて裕福だったユダヤ人の財産を異端を理由に没収するものだったのですが、結果的にスペインを追い出されることになったユダヤ人は商業や交易の中心地で、その先のビジネスの見込みもあったフランドル(ネーデルラント地方)へと逃れます。このときの移民は、まさにその後オランダを始めネーデルラントが世界の貿易あるいは文化の中心地になることを予言していたもの、とも受け取れるのですが、ともかくオランダがその後奇しくもスペインと独立戦争である80年戦争を戦う理由あるいは大きな原動力になったのも、このときのユダヤ商人を始めとする移民にあったかもしれないのです。(イスパニアから1492年のユダヤ人追放については「ウススの手紙」を参照。)ともかく、この時の移民はユダヤ商人であったこともあってかその後ネーデルラントは世界の貿易の中心になりましたが、移民が何をもたらすのかはともかく移民の移動そのものは世界情勢の、あるいは世界の文化と情報の中心の移り変わりを指していることが多いのです。全てが全てというわけではありませんが、移民が、移住先に有利な情報をもたらすのもほぼ間違いありません。ことさら中世や近世のヨーロッパのそれの前後関係、つまり移民の理由や世界的災害などが移民について論じるときには重要になってくると思うのですが、とにかく移民のそれは世界情勢のトレンドの移り変わりを指し示していることについてはまず間違いないのです。
posted by skywalker at 17:47| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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