2015年06月21日

交易は等価交換で

はい、交易は等価交換で行いましょう。といっても、何のことだか分かりませんよね?交易とは、モノをモノ同士あるいは貨幣と交換する行為です。古くは物々交換から来ていますが有史以来交易というのは人類史の重要なファクターのひとつでした。では今日はその交易について、ちょっと基本原理というかコツのようなものをご紹介しましょう。知っている方も多いと思いますが、交易と等価交換について、です。
等価交換については、「鋼の錬金術師」で知った方も多いと思いますがモノとモノと等価、等しい価値で交換することです。こうするとちょっとざっくりしすぎですが、例えば物質精製や化学反応においてもモノというか物質は基本的に等価交換されます。つまり、ムダもなければ足りないものもない、のです。ざっくりいうとモノの交換の過程において過不足の絶対生じない状態を等価交換あるいは等価交換の原則と呼ぶのですが、過不足の絶対生じないという点においてはどちらかというと物理実験の等価交換寄り。モノとモノを等しい価値で交換する、という点においてはどちらかというと交易寄り、です。今回のは交易についての稿ですのでそこに重心を置いて話を進めていきましょうね。

交易での等価交換というのは具体的にはテクニックのようなもの、です。物質の等価交換の原則は物理や化学において、ですが交易自体がモノとモノあるいは貨幣を交換する行為、ですのでそもそもそこでの等価交換といっても確かに基本原則でもありますが基本的にはテクニックの部類の一部にも入ります。テクニックですので具体的にどういうものか、と説明すると要は自分で等価交換と思えるようにモノとモノを釣り合わせて交換することです。モノで釣り合わすことのできない場合は少量を貨幣で払います。例えばこれは例外ですが銀や金などの貴金属や宝石、高級品などの交易品は貨幣で兌換したとしても等価交換が多くの場合成立します。なにせ、近世までの交易は貨幣といってもほとんどが金貨や銀貨、銅貨などでしたので硬貨でも貴重な資源扱いですので貴金属や宝石などとの交換でも等価交換は成立するわけです。もし貨幣に兌換性がない場合は銀や金などの貴金属でも支払い対価として使えるようです。実際、オランダの東インド交易において香料諸島の香辛料の決済に日本の銀が使われていた、という例もあります。金のクーバン(小判)も実際にオランダに現物がある、ようです。徳川幕府のものですね〜。まぁ、要は貴金属なども通貨に兌換性がない場合は決済方法のひとつとして使える、というものですが基本的には通貨の通じる範囲、あるいはまったく貨幣の通じない異国などの環境においてはやはり基本的にはモノとモノ同士の物々交換あるいは等価交換になります。物々交換ということは等価交換でないといけませんから、お互いの同意できる範囲・量で等価交換することになります。交易の原理というのはこのようにモノ同士の物々交換あるいは等価交換ですので、通貨を差し挟んでも等価交換の原則は変わらない、というわけです。つまり、結論からいってしまうと交易やモノの交換はなんでも等価交換で、その原則を破れる例はない、というわけです。物理実験の等価交換の原則がここでもあるわけなのですが、とにかく、モノとモノの交換、それどころかほとんどすべての交換などは等価交換が原則、というわけなのです。モノの交換の例に戻りますが、とにかく交易などは特にモノとモノをお互いが等価交換と思える範囲で交換する、というのが基本原則になります。通貨などは、交換の足りない分を補う範囲で、基本的には交易はモノとモノの交換ですのでできるだけモノ同士で交換するというわけです。船の数と、便数(帆船時代は季節風の交易なので時期によって限りがある)には限りがありますのでそこを往復する船は、貴重なのです。なので、できるだけムダのないようにモノを積んだほうがいい。確かに、よほど儲けの期待できない場合はモノを積まずに、バラストだけで、というケースもありますが、基本的には、中立国間あるいは地域を交易する場合はできるだけモノを積んだほうがいい、のです。ただ、あまりにも儲けの期待できない場合は積む必要がありませんから、そこは高級品を運んで補うとして基本的には姿勢としては船倉の余ったスペースに、何かを積んで、ということになります。実際、目当てのもの以外を積むことによって新たな気づきや発見、思いもよらぬところに目が行くこともありますから、それはそれでとても有益なのです。第一、メインの人気品だけを交易する交易をしていては、相場のことなど分かりません。基本的な交易論を押さえている人ならいいですが、それでも交易しているのに相場のことには疎い、ということになりかねません。大洋貿易ならいいですが、地域交易で相場を知らないなどほとんど論外です。やはり交易している以上は相場も知らなければいけませんからある程度は空いたスペースに適当に気になるものを積むといいでしょう。そうすろと、相場について知ることもできますし何より新たな航路の発見にもつながる、のです。これはどんなこと・モノでもいえることですが、モノに向き合う時はそのモノをよく観察することが必要で、その観察が後の経験や勘を養う、のです。モノは何よりもまず、情報ですから船倉の空いたスペースでもいいので、気になるものやおもしろそうなものを積んで相場を見てみるといいでしょう。そうすると、モノを見る目がガラッと変わると思います。話がちょっと逸れましたがとにかくモノというものは等価交換なのです。船主のことだけを考えるのなら確かに利幅のいい物を、最大限積んで、なのでしょうが相手の街や交易所のことも考えるのなら、やはり適度にモノを卸して適度にモノを買っていく、そういう姿勢が必要です。何より、街と船にとっても在庫の過不足が起こりませんし、経験や勘を養える上相場のことについてもよく知ることができるためいいことづくめ、です。多少の過不足による損失などはあるとは思いますがそれでも得られるものに比べたら断然少なくほんのわずか、なのです。主要の論は空いたスペースにできるだけモノを積んでいけ、になってしまいましたがこの稿の主旨としては交易やモノの交換はあくまで等価交換である、ということとそれは基本原則である、つまり守っていれば基本的には何も問題ないし得をしていくことも多い、ということなのです。交易はモノの交換といっても、ただ単なる物だけを扱っているわけではありません。モノとしての情報もありますし、付加価値もあるのです。ただ交換するのが交易ではない、というわけなのです。そこには、多くのドラマと感動が込められて、いるのです。あまり物理的にならず、情報的な部分もやりとりできるトレーダーになるといいですね。今の社会となっては確かに利益第一なのかもしれませんが、それでも本当に利益を考えるのなら余分なスペースには少しでも役に立ちそうなものを積んでいくべき、です。人類としての核心的利益を追求することが、本来の利潤追求というものであり、決して表面的なものだけではありません。物理的な欲に囚われると、待っているのは、死です。この世に執着せず、上手に生きるには、まずは自分の姿勢ありき、なのです。表面的なことに捉われずに、モノの真実を見つめることを繰り返していけばいいでしょう。そうすると、いつかはモノの真の価値を見抜ける人になるはず、です。交易の話かもしれませんが、そもそも交易とはある意味人類においてもっとも重要なファクターだったかもしれない、のです。細かい作業をバカにせず、モノ、それから物質世界に価値を見出していける人になりましょうね。それでは、この話はこれで終わりです。ご精読ありがとうございました。
posted by skywalker at 12:58| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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