2015年02月14日

ブログの写し(告白はゼロサムゲームだからやめたほうがよい)から

まぁ、文化的背景というか今日が何の日だからだとかは関係ないの
ですが、今日はゲーム的観点から見た場合の告白というものについてです。
もう分かっているという人も、そうでないという人も
恋愛というものでやってしまう告白も含め(そうでない罪などの告白も含む)について
簡単に見ていきたいと思います。

まず、結論から。告白とは追いつめられてその他に選択肢がないから
行ってしまういわゆるゼロサムゲームであり、相手に(恋愛の場合は)
イエスかノーを迫ってしまうためほぼ確実に失敗する(形式上成功しても長続きしない)策
であり、要は強盗が「金を出せ」といった際にどうしても出してしまうのと一緒、である。

結論からいうとゼロサムゲームというのは(ゲーム理論上で言う)これ以上続けても勝敗が決まらないか両者が疲れ切ってゲームをやめてしまう状態であり、意味のない状態。(ゲームをする際は通常ゼロサムゲームに陥らないように気を付けるもの。)

相手に難しい選択を迫ってしまうこと自体、相手としてはその場逃れの方法を考えざるを得ないので、特に愛情を伝える手段としては実はもってのほか、なのである。その場で選択を迫ること自体、相手を脅していることにもなりかねない。かといって、ゼロサムゲームなので相手は選択しなくても時間を損することになり、結局曖昧にしておいたほうがよかったものを破断させているということに過ぎない、ということも言える。
(要は曖昧なほうがゲーム(駆け引き)の上でも精神衛生上でも好ましいといえる。)

まぁ、結論の通り告白(というものに象徴されるが、してしまっているが)という相手に結論を迫る行為は要は破断するのを早くしてしまっただけであり、実際そっちのほうが精神衛生上好ましいからそうしてしまった、ともいえる状況が多いのではないか。
また、恋愛はできるだけ長く続いたほうがいい、という精神衛生上好ましいから、という観点からならむしろ曖昧なほうがその後の(ゲーム的)選択でも有利になるのであり、とかく人生における選択をゲームにしてしまうのにはあまりにももったいない気がする。
本来ゲーム(的選択)をしてしまうこと自体好ましくないのだ。

人間のゲーム的選択思考を助けるものに、ゲームというものがある(こちらはテレビやPCのゲームも含む)。これらをやれば、ゲーム的選択というかゼロサムゲーム、選択そのものにいかに意味がないかがよく分かるであろう。ゲーム的選択をしてしまうこと自体、極めて意味のないことなのである(ゲームの系の内であるため)。ゲームの中でゲーム的選択を試すのにはよいのだが、実際の空間でゲーム的選択を試そうと思ったらとんでもないことになる。物理的コストは消費するしとんでもないケースで怪我してしまうこともあり得るのだ。実際の空間はゲームではないのでできればゲーム理論的ゲーム選択の検証は避けたほうがいい。もちろんゲーム的選択脳を助ける方法もあるので紹介しておきたいと思う。

スポーツなどは、ゲームの中でやっても割とゲーム的選択の検証ができるものである。特にサッカーゲームなどは、広く出回っているのでおすすめしておきたい。(ストリートサッカー、フットサルなどは体力的にも疲れないのでおすすめ。もちろんTVゲームであるが、
FIFAストリートなどをおすすめする。)

一言いっておくと、実際にゲーム的スポーツをすることがゲーム的選択を鍛える上でも(脳にとっても)いいことは間違いない。かといって単純なゲーム的選択を試すには、TVゲームのサッカーを試すのがちょうどよいので、一日の始めにでもやっておくと、その日の煩悩が晴れることには間違いない(ひょっとすると思考も速くなるかもしれないのだ)。

ゲーム的選択性の意味のなさ、ゼロサムゲームの意味のなさを試すにはTVゲームなどが一番いいと思う。かといってプレイ時間の少なさからいえばサッカーゲームなどがおすすめなのは間違いない(特にストリートサッカー、フットサルなど)。
オンラインゲームなどはゲーム的選択の意味のなさといっても実際にはゲームが終わらないため、あまりおすすめはできない。ゲームの空を観るためには、いちいちゲーム形式でそれが区切りで終わる(もっというと簡単にやりなおせる)必要がある。まぁ、簡単にやり直せる、という意味でもゲーム的選択の意味が分かるであろう。もっともゲーム的選択なのに一向に終わらないオンラインゲームなどは一見強敵である。ゲーム的選択に慣れてから、というか一回ゲームの空を観てからやることをおすすめしたい(そのためにはサッカーゲームなどがおすすめ。もちろんリアルのでもTVゲームのでも構わない。ゲーム形式であればなんでもよいのだ。)

世の中の選択ほぼすべてはゲームである。いわゆるゲーム的選択なのである。
ただ、「ゲーム的選択」という名前が付く以上ゲームの中なのは間違いない。(もちろん実際の空間はゲームではないのでそこで物理的コストを払わされるバカバカしさといったらありゃしないだろう。物理的なものであったらもちろん危険である。)

ゲームの中ということはもちろんその外がある。ゲームから抜け出した世界というものがあるのだ。そういうのを是非自分の目で見ていってもらいたい。


(余談ではあるが恋愛の告白の話からこうなってしまったのは否定しない。だが感情的な曖昧な話を扱っている以上結論としても曖昧にしておきたいのだ。こういうのは引っ掻きまわさないのに限る。ゲーム的観点からいくとこういう話になるのは分かってもらえたと思うが、実際には世の中にはゲームの外側の世界というものが存在するのだ。もちろん世の中の外側の世界もあるかもしれない。ゲームの外側の世界に出ると格段に視野が広がるものだ。そういう世界を是非見てもらいたいのである。ゲームの中の世界というものはあくまでそのゲームの奴隷にすぎないのである)。

********************************
まぁ、ということで書いていったが交易学というかそんな感じのブログなので載せさせてもらった。
もちろん主旨としては「ゲームは意味がない」である(ゲーム的選択を含め)。
ゲームを抜け出して外側の世界を見たときだけに本当の世界がある、という趣旨なのであるが、
ゲームをある程度やっている人には分かって当然のことであろう。もちろん、分かっていないという人でも心配しないでもらいたい。恐らく自然に理解していることであろうから。(ゲームの世界というのはもちろんこの世のゲームすべてを含む意味で、である。)

単純な図式でいえばゲームから抜け出せばその外側の世界が見える、なのであるが(要は“割と”本当の世界)、ゲームから抜け出すにはとりあるTVゲームやPCゲームをやってしまったほうが早い(物理的なコストをほとんど払わなくていい、という観点からも)のでゲーム的選択を鍛えるという観点からもTVゲーム、ゲーム的形式のものはおすすめしておく。もちろん実際のゲームでもいいのだが、TVゲームやシミュレートでもできる、ということ。物理的なコストを払わなくてもいいので、どちらかというとストリートサッカーなどのサッカーゲームなどがおすすめである。(もちろんゲーム的形式であればどんなのでも構わない。)ゲームを抜け出すには、ゲームが一番手っ取り早いのだが物理的コストの観点からもゲームをやるのが一番早いのだ。(当然仮想のもののほうが物理的コストを払わずに済むのは容易に想像が付くと思う。)

もちろんゲームから抜け出すのが目的のため、あまりやりすぎないようにすること。ただしやってるうちに自然に抜け出せてしまうので適当に本などを読みながらやるのが最適か。もちろん、数学の本、特にゲーム理論の本を読みながらであるほうが手っ取り早いのには間違いない。ゲーム理論について知識があったほうが手っ取り早いので一度は読んでおかれることをおすすめする。(「高校生からのゲーム理論」などが分かりやすいか。もちろん海外著作のほうが分かりやすいので高くてもよいのであればそれに越したことはない。)

長くなってしまったが主旨としては「ゲームはやめたほうがよい、それを抜け出した世界に本当の世界がある」、である。もちろんゲームをやりながらでもよいので、たまにはゲームを抜け出すことも想像してみるのもおすすめしておきたい、といったところである。
posted by skywalker at 17:44| Comment(0) | リンク・サイト紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: