2014年10月13日

戦いとはなんぞや

戦いとはなんぞや、ということであるが
まず戦いの定義からしていこうと思う。
これまた、簡単で一対一の戦いの場合に
その駆け引き、差し引きによって勝敗が決する場合
その駆け引きのやりとりを戦いと呼ぶのである。
こうなると、「ゲーム」の定義と同じで
一定形式の試合で駆け引きがあるものはすべてゲームである。
また、特にフェアなルールがあって駆け引きが行われるものは
厳密にはスポーツである。

というところを見ていくと、
戦いとは「駆け引き」に集約されているものである、という
見方ができる。

して、その戦いを詳しく見ていくと、
大きく分けて歴史的に二通りである。

ひとつは、試合形式の、いわゆるスポーツであるもの。
もうひとつは、命がけの、戦争のために行われる戦いである。

戦争の戦いのほうに、普通は目が行ってしまいがちであるが
戦争自体はなんのとりえもない、ただの命の削り合いなので
不毛がゆえ戦いの論からは外させてもらうことにする。
本来の意味での武術ではないのだ。

一方、試合形式のスポーツのほうは、というと
戦争という形では不毛な「戦い」を
スポーツに昇華した、ある意味一種の「芸術」なのである。
もちろん、剣術も芸術であるし武術の英語であるマーシャルアーツも
「アーツ(Arts)」という言葉の通り一種の芸術なのである。

もっとも、そのマーシャルアーツこと武術は
東洋では、陰陽両極対の空である概念の元かしら、
もっぱら空、あるいは修行の一環として捉えられることが多いが、

西洋の、そのうちの西洋のひどく西洋っぽい解釈でいけば、
間違いなく剣術・武術は戦いの訓練・修行でもあるし
スポーツなのである。

そのあたりが、東洋らしい精神性に重点を置く東洋の武術と、
西洋の剣術などのスポーツらしいマーシャルアーツの試合観、捉え方の違いである。

もっとも、東洋にも武術の試合らしいところもある上
西洋の剣術にも、騎士道などの精神論が関わってくる部分もある。

西洋の騎士道は、もっぱらジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」が
分かりやすいが、(その中でも特にジェダイとその精神性)
(騎士などを扱ったハリウッド作品などではもっぱら戦闘と凌駕に目が行ってしまって
どうにもこうにも、「スターウォーズ」(のジェダイ)以上に騎士道精神について深く観察している
作品はないように思うのである。悪く思われないでいただきたい)

戦闘とはなにか、あるいはそれ自体がすべて虚無なのか、
命とはなにか、命をやりとりするのは戦闘か、

命がけでやらなければいけないのか、
そもそも命を危険にさらしてまで戦う必要はあるのか、
戦いに意味はあるのか、と

その精神性以外に戦いは語るべきところがないのである。
(もちろん、命あっての物種であるしそれを危険にさらす
戦いは意味がないのである。もちろん、戦闘行為などもあまり
意味がないと言わざるを得ない。)

もっぱら、戦闘行為についてはゲーム理論、それから
戦いのゲーム的駆け引きが絡んでくるのであるが、

もっともそれはゲーム的駆け引きがある上での
戦闘行為と言わざるを得ない。

従って、戦闘行為は矛盾だらけの無意味で不毛な行いである上に、
スポーツ形式化するならもっぱら武術・剣術の部分なのである。

こうあるとお分かりのように
剣術・武術またはその精神論の部分に
ゲーム的意味があるといえばそれまでであるが、

剣術・武術は精神論に意味があって
戦いの部分にはないのである。

もっとも、試合形式のスポーツという部分は単なる入れ物であるし
精神論で語るなら剣術は精神論で終わりなのである。
これは、熟練すればするほど戦いで死んでは意味がない、
というのを悟る過程にきわめて似ていると思う。

もっぱら、スポーツは入れ物であるし剣術の精神は
まさしく精神論の中にあるといってよい。

もちろん、現代のサッカーなどは試合形式である、といえばそれまでであるが
試合形式に最適化したゲームなのであって、

剣術などのもっと純粋に精神論だけでいけてしまう
ゲームとはまたひどくかけはなれたものである、といえるだろう。

要は、戦いとは精神論だけで語るべきものであり
現代のスポーツなどの試合形式のものは試合形式そのものに
適応したゲームであるといわざるを得ない。

精神論がゲームの中核にあって、ゲームがゲームだけで動くべきではないのである。
もっとも、現代サッカーをプレイしている諸氏には
「戦い」の精神論を理解している者がきわめて多いと思うが、

となっても戦いのゲームと、試合形式のゲームは全く別なのである。

戦いのゲームを一言で表すなら、単に「精神論」であり
それ以上のものでも、それ以下のものでも何でもないのである。

して、その精神論とは具体的には「空」である概念のことであったりするが、
要は、精神論なのである。

プロは危険を冒さない、とはよくいうが
まさしくそういった精神論の部分でのみ戦いに関しての議論が行われるべきであり、
本来の意味で戦いの駆け引きや物理的動きの部分にはさして意味がないのである。

これまた、唯識の考え方にもあるように
考えが物理的現象を作っている、のであって
物理空間で起こることは精神現象そのものなのである。

となると、剣術・武術は精神論である、というのは
非常に分かりやすい。

もっとも、ここまでの空論を重ねる必要もないのだが
単純に、物理空間は取り替えが利かない上に
命にも限度がある、ということから

到底危険は避けざるを得ない。
となると、そこにあるのは精神論である。

実際、武術や剣術などの達人は精神論に徹している場合が多い。

実際にそれについて考えるのと、それに熟達するのとでは
わけが違うというのも、また精神論かくの如し、である。(終)
posted by skywalker at 15:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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