2016年02月24日

シミュレーションとリアリティ

シミュレーション、とリアリティということだが今日は如何にシミュレーション、ゲームを上手く活用するか、ということである。いきなり結論で申し訳ないが、シミュレーションゲームをやるにはリアルの空間の知識が絶対不可欠である。そもそも、リアルで認識しなことのないものは仮想空間でもほぼ認識不可能で、見たことのないものはほとんど認識不可能なのである。この辺の科学は苫米地英人氏の脳機能化学の本が詳しいが、それは置いておくとしてシミュレーションゲームをやるにはリアルの知識、要は十分に臨場感を持ってやらないと、そもそも仮想空間、ゲームでの出来事はほとんど理解不能なのである。多少解釈できたとしても、それは表面上の解釈にすぎず、しかも大変不幸なことに日本のゲームは事実や史実、リアリティを適当に捻じ曲げて史実を伺え知れないようになっているものも多い。史実の出来事が原形を留めておらず、ゲーム会社の都合のよいように編集されてしまっているのである。以上のような問題点については、まぁ放っておくしか手はないとして、問題はゲームをやるユーザー側である。本来なら十分な情報を提供するはずの、あるいはそういう役割であるはずのゲーム会社側がそもそもそうして、半ば公然と歴史の歪曲を行うわけなのだから、当然何も知らないユーザーは何をすべきか、というとまずは自分で本を読んで十分な歴史の知識と、臨場感をつけること、である。当然、ゲーム会社側も人間であるので、最初から必ずしも歴史を歪曲しようなんて考えていないかもしれない。もちろん、史実を多少いじってしまうのもゲーム的要件か都合によるもので、必ずしもそれ自体を目的としているわけではない。とするならば、それを知らずにやってしまう、あるいは元からあまり歴史やその史実に対して知識のないユーザーがまず何をするべきか、というと十分に知識的なフィードバックができるように、まずは歴史や史実の出来事をはじめ本を読み十分な知識をつけることである。よく、歴史のゲームにも関わらず、その史実のゲームとは関係のない部分で自分の煩悩に基づいた、「ゲームそのものを批判する」レビューを見かけるが、そもそも歴史のゲームは史実を隅々まで細かく知らないとできないわけで、特にものによってはそんじょそこらの薄っぺらい小説を読んでも分からない、のである。実際、頭の中で場面を再現できるぐらい臨場感を持てないと、そもそも歴史のゲームなど楽しめるわけがないのであって、三国志の最新作のようにゲームとは関係ない部分、あるいはゲームのシステムそのものにけちをつけるレビューが多いのは、まさしく(特に今の世代が)ある作品をプレイするのに「まったく必要な予備知識も臨場感も付けずに」それをやっていることの、漫然たる証拠、なのである。だからといって、じゃぁどうすれば、ということになるのだがそのためにはまず出来るだけ原本に近い状態のものを読むこと。電子書籍を使えば割と簡単に手に入る。それから、ヨーロッパの植民地主義的進出時代のものであるなら、より原型に近く再現度の高い、海外のゲームをやってみること。英語だからといって、躊躇していてはいけない。何よりゲームは英語を並行して覚えるのなら使い方によっては相当いいものであるし、何より当時の言語にどちらが近いか、というと当然英語のほうなのである。わざわざ日本語で出ているヨーロッパの歴史ものは、逆にほとんど歴史的事実を何も知らない今の日本人に都合よく間違った史実や認識を植え付けるために製造され、出ていると覚悟したほうがいいので、結局は自助努力で少しでも本物に近づきたいのなら、間違いなく英語のゲームはやっておくべきである。本物などどうでもいい、という人もいるのかもしれない。だが、よくよく考えてみてほしい。史実の事実抜きの歴史など、全くありえないのである。というか、そもそもいくら歴史ゲームといえど基本的にはゲームの中では史実の出来事しかプレイできないので、ある。都合よくゲームで知識が付くと思っている人がいるかもしれないが、そういう場合は事前に十分に知識があって当時に臨場感もある程度持てる人だけが、知識を付けることができるのである。逆に、まったく歴史の知識がない人がやってしまえば、それこそ携帯電話をいじる原始人よろしくちんぷんかんぷんで、ほとんど最初のうちは全くまともにプレイできないに違いない。逆に、本人が意識していなくともどこかでそれに関する知識を得たことがあるならば手取り足取りで徐々にできるようになっていくのかもしれない。だが、ゲームをやる以上、やれる時間は限られていると思うので、やはりその有限の時間を最大効率に生かそうと考えるのなら、事前に知識や背景の時代に関する臨場感は、十分につけておくべき、なのである。全く知識のない人だから、ゲームをやるな、とは言わない。手取り足取りでも覚えることができるのはおいておいて、そもそもゲームをやろうと発起した側も本当は知識が欲しくてやっているはずである。もちろんある程度予備知識がある人が歴史のゲームで新たに習得しよう、ということは否定しない。だが、ゲームを最大限に生かすのなら、やはり最低限の知識と臨場感を持てるほどの予備知識は、持っておくべきである、というように思う。
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2016年02月23日

移民と世界情勢

移民と世界情勢ということですが最近移民のニュースがひっきりなしになって久しいですね。主要メディアも報道を抑えているのか、あるいは一時期のピークは過ぎたということなのか、英BBCのアプリを見ていても移民のニュースがトップで報じられることは少なくなってきているようにも思います。ただ、それとは反対にシリアなどで爆弾テロ、あるいは空爆などで無実の市民が大勢犠牲になっていく現状は今も変わっていません。ということは少し脇においておいて、今日は移民と世界情勢ということです。簡単に結論をいえば世界情勢の中心地あるいはトレンドに従って移民は動く、ということです。歴史に残っているような大きな移民に限らず、小さなほんの一部の移民でも、移民そのものが世界情勢のトレンドの移行を指し示しているのです。今回のケースは、明らかにそれ以前の50年100年の歴史でヨーロッパに中近東あるいはアフリカ諸国が痛めつけられてきた歴史もあり、ヨーロッパもある程度移民を受け入れざるを得ない理由もあります。経済的な格差が理由だとも見受けられますが、それ以上にもしそうだとしたらそれ以前50年100年の歴史で中近東や北アフリカの国々が経済的にあまり発展しないように、あるいはヨーロッパ列強帝国時代にその後の発展を抑えつけるような政策がいくつか行われてきたのも事実です。今回の移民のケースでヨーロッパにすべて責任転嫁してだから受け入れざるを得ない、という見方をするのは少し早計だと思いますが、それでもそれ以前に痛めつけられてきた民族あるいは文化圏に移民が殺到するのは、珍しいケースだともいえます。裏でどういう事情があるかは詳しくは分かりませんが、それでも今回のシリアを中心とする移民の大移動は歴史的なそれと比べるとちょっと特殊なケースであるかもしれない、ということは言えるわけです。
話を元に戻します。世界情勢のトレンドの移行に従って、移民は移動する、と書きましたが、これは特に中世・近世ヨーロッパのケースに特に当てはまることかもしれません。歴史上の公の記録には残らない、そんな少数なものから隠れたものまで、結構移民は常時たくさんいたと思われますが、それを含めそういった移民の移動の際に必ずキーになるのが、というかもうこれは答えなのですが世界情勢のトレンドの移行、つまり世界の文化あるいは情報の中心の移行なのです。東ローマ帝国、つまりビザンチン帝国が滅んだ際もそうですが、近い宗教であったこともあると思いますが、恐らくヨーロッパにも移民が流れ込んだことでしょう。また、1492年にスペインでグラナダが滅ぼされ、レコンキスタが完了した際もスペインからユダヤ人が大量に追い出されて(あるいは異端審問にかけられて、財産没収や火刑もあった)います。このときのものは財政上の理由から何かしらの口実をつけて裕福だったユダヤ人の財産を異端を理由に没収するものだったのですが、結果的にスペインを追い出されることになったユダヤ人は商業や交易の中心地で、その先のビジネスの見込みもあったフランドル(ネーデルラント地方)へと逃れます。このときの移民は、まさにその後オランダを始めネーデルラントが世界の貿易あるいは文化の中心地になることを予言していたもの、とも受け取れるのですが、ともかくオランダがその後奇しくもスペインと独立戦争である80年戦争を戦う理由あるいは大きな原動力になったのも、このときのユダヤ商人を始めとする移民にあったかもしれないのです。(イスパニアから1492年のユダヤ人追放については「ウススの手紙」を参照。)ともかく、この時の移民はユダヤ商人であったこともあってかその後ネーデルラントは世界の貿易の中心になりましたが、移民が何をもたらすのかはともかく移民の移動そのものは世界情勢の、あるいは世界の文化と情報の中心の移り変わりを指していることが多いのです。全てが全てというわけではありませんが、移民が、移住先に有利な情報をもたらすのもほぼ間違いありません。ことさら中世や近世のヨーロッパのそれの前後関係、つまり移民の理由や世界的災害などが移民について論じるときには重要になってくると思うのですが、とにかく移民のそれは世界情勢のトレンドの移り変わりを指し示していることについてはまず間違いないのです。
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2016年02月20日

関係性とゲーム-新しいパターンを切り拓くには

関係性とゲームということですが、要はこういうことです。関係性とは、ここでは物事や概念同士の関係性のことをいいます。対して、ゲームとはここでは社会的にしろ形式のある機構や仕組みのこと、すべてを指し、基本的にはゲーム理論においては世の中の出来事事象ほぼすべてのその一個一個をそれぞれゲームであると認識、あるいはゲームと呼びます。新しいパターンを切り拓くには、ということですが要は新しいゲームを作ればいいわけです。新しいパターンを既存のゲームに作れば、やがてそれが分離独立して新しい一個のゲームになります。新しいゲームができる、ということは世の中のシステムの中にまたひとつ新たな仕組みというか分野ができる、ということを指しています。既存の仕組みの中に新しい分野を造ることは並大抵のことではない、というか容易ではありませんが、とにかく、ここでは簡単に結論をまとめるのなら既存のゲームの中に新しいゲームのパターンを作ればいい、ということになるのです。確かに、ただ新しいパターンを作れ、ではどの概念に作ったらいいかが分かりませんので、それだけではちょいと曖昧なのですが、既存のゲームの中で新しいパターンを作れ、だったらどうですか?ちょっと目先を変えて、何か新しい方法だったり自分なりの手法を加えてみればいいのです。そうして試行錯誤をするうちに、他とは一線を画した新しい方法、というかやり方ができます。そうして出来た、他とは違うやり方、がその既存のゲームの中の新しいパターンとなるので、終いにはそれが分離独立して一個の新しいパターンから新しいゲームができるのです。新しいゲームを作る、ということは一分野の新しいシステムができることに等しいですが、要は、新しいゲームを造るには、既存のゲームの中に新しいパターンを造ればいい、ということになるのです。新しいゲームとは、もし自分の手で造ったのだとしたらほぼそれそのまま自分のゲーム、自分だけの世界にも等しいことですが、もしそれにゲーム、つまり既存の社会システムと共通する仕組みとしての整合性があれば、次第に社会の仕組みとして認められていくことでしょう。新しい一分野を築き上げることは難しいことのようにも一見思えますが、この世界では常に新しいゲーム、あるいは少なくとも新しいパターンは日々造られているわけです。既存の世界と整合性さえ合えば、社会的仕組みと認められたことになるのですが、ともかく新しいパターンさえ造れば新しいゲーム、つまり新しい仕組みが出来上がるのです。利益が出るか、得になるのか、といった余計な勘定は要りません。新しいゲームやパターンができるほど、この世界は豊かになっていきます。社会の仕組みを造るのは、難しい国際機関の仕事、かと思われるかもしれませんが、違います。この世界は、私たちで造るもの、なのです。そのために何をしたらいいか、というと新しいゲームのパターン、ひいてはそこから新しいゲーム、つまり社会の仕組みができていけばいいのです。もちろん、社会的に利益の出るようなものでなくてもいいのです。この世界の断片、ひとつひとつすべてがゲームなのです。そのゲームを増やすことこそ、私たちの住むこの世界を広げていくことに、他ならない、のです。
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2016年02月19日

資源と産業と南北問題

資源と産業と南北問題、ということですが今回のお題はこちら。結論をいうと概ね南の地方は中途段階の文明で開発し得る資源が少ない、ということと開発され得る資源に対して食料・飲料などが少なく文明が発展しない、ということ。それに対して比較的北の地方は中途段階の文明で開発し得る、そして交易にも有効活用でき適度に産業の発展を助ける物品がより多い、ということと開発され得る産業物品に対して比較的食料・水資源が豊富にある、ということです。それらのことから通称「南北問題」が発生するのは当たり前で、根本的に南よりも北のほうが時代を重ねるごとに豊かになりやすい、のです。ということは北のほうの文明が南の文明を金融的に支援しなければいけないのですが、現在の食料ベースの飢餓や貧困が南で起こっているのは、そもそもそういったことが政治的な理由で為されていないから、なのです。具体的な理由は、なぜかは分かりませんがとにかく適度に南の地方を北が金融支援して経済の維持を助ければ、南も豊かになるか、といったらそうではなく結局根本的な有効な資源の差から南の地方よりも北の地方の方が圧倒的に豊かになりやすい、のです。それでも南の人は希望を捨てることなく普通に暮らせる社会を造ることは一応普通に造ることはできるのですが、先述の政治的理由のとおりそれが出来ていません。それはさておき、南のほう、とは南北問題の前提で分かっていらっしゃる方も多いかと思いますが、赤道よりも南の、いわゆる南半球のことです。反対に、北の地方とは赤道よりも北の、北半球のことです。と、ここで終わってしまったら、なんだこんなことか、と思われてしまうかもしれませんが、今回の結論はそういうことではありません。先の南に比べて北の地方は開発しやすく発展段階の文明にとって有用な資源が多い、ことが成り立つならば、こんなことが成り立ってしまうのです。(ここでは南半球、北半球のことではなく単純に方角)ある地方よりより南の地域は北の地方に食料など農産物を供給し、より北の地方は工業品を供給する、というものです。単純にまとめると、南よりも北の地方のほうが開発しやすいのなら、当然産業を含め文明の発展はより北の地方のほうが中途段階の文明では速くなります。ここで重要なのは初期段階の発展はすでに終わっていて、中途段階に差し掛かっていることが条件なのですが、とにかく人口をリカバリーするだけの有効な資源が、より北の地方では豊かなので中途段階からの文明の発展はより北の地方(ここでは多くの場合は北半球を指す)のほうが速くなるので、北の地方のより早い海外進出とあるいは植民地的支配が当然起こる、ということ。もっというと、より温暖でかつ北の地方よりも緩やかな文明の発展の仕方をするより南の地方では、そもそも農産物や鉱物資源などのより原資のかからない原産物が開発されやすい、ということとそれによってより北の地方の文明に植民地化されて搾取される、つまり手間さえかければ割と安く生産できる農産物などをより北の地方が比較的いい値段で買い上げる、ということが言えてしまうのです。より北の地方は、南の地方に比べて人口に対する資源が豊富な分中途段階からの文明では比較的早く発展しますから、産業がより発展しやすく鉱物資源などの原産物を加工する工業がより早く発展しやすくなります。となると、どういうことが言えるのか、というとより北の地方のほうが南の方の地方に比べて工業加工品を造る能力は高くなるので、より温暖で肥沃な南の地方から食料品など農産物や原産物を買い上げて、代価として工業加工品を南に送り付ける(あるいは売りつける)といった交易方式ができるのです。16世紀頃からのアフリカやインドとヨーロッパの交易ではまさしくその構図が鮮明になりましたが、そもそも比較的温暖だが人口に対して水などの資源に乏しいより南の地方はより北の地方に対して豊かになりにくい、のです。反対により北の地方は比較的穏やかな気候あるいは冷涼な気候になりやすいので、より肥沃ではないかもしれないけど人口に対してはさほど水資源は不足しない、あるいはより温暖な南の方から農産物などを買えるので、当然交易で経済は維持できるし相対的に交易単価の高いものを製造できる技術を相対的に早く獲得するのでどうやっても南よりもより北の地方ではそれが鮮明になってしまうのです。それの象徴が、といってはなんですが15世紀からの植民地時代でより南の地方が北の地方に、要は南半球のアフリカ・インドあるいは東南アジア、中南米などの人々が主にヨーロッパ人に搾取される構図が出来上がってしまった、ということにあるのです。分かりやすくまとめると、南よりも北のほうがより人口に対して水資源が豊富なので豊かになりやすい、ということと、もうひとつはより南の地方よりも北の地方のほうが上記理由などにより中途段階での文明の発展は早いので、より経済的に優位になり産業が発展しやすく、特に工業加工品がより安く作れてしまうため南に対して優位に立ちやすい、のでより南の地方を経済的に搾取する、という構図が生まれる、ということなのです。より南のほうが北に搾取され、というのはヨーロッパにおいても当てはまることで、例えばイタリアなどの南の地方は最初ルネサンス期には優位に立っていましたが、有効なリソースに対してだんだんと人口が増えすぎ、15世紀から16世紀にかけては食糧難に陥っています。反対により冷涼な北ヨーロッパのほうでは、ルネサンス以前の文明の発展は比較的穏やかだったものの、南でのルネサンス期からだんだんと時を経るごとに豊かになっていきます。もちろん、それは経済発展によるもので、ユダヤ人商人を始めインテリの貢献によるところが大きかったにせよ、とにかく産業的な経済発展を果たします。もちろん、人口に対して割と水資源が豊富なこともありますが、経済規模のボトルネックは南よりも大きいわけです。となると産業は当然北のほうが発展しやすく反対により温暖で肥沃な南の地方から食料品を仕入れる代わりに、工業製品を売り付ける構図が生まれますし、反対になぜイタリアなどでは食糧難に陥ったか、というと有効なリソースに対して人口が増えすぎた上、当時敵対関係にあった北アフリカなどのより南の温暖な地方から農産物を何等かの理由で仕入れられなかったため、と読み解くこともできます。交易経済的に割と対等な関係にあった北アフリカとイタリアでは経済的な理由だけで農産物などの輸入が止まったとは考えにくいですが、それでも本来豊かなはずの南の地方あるいはイタリアでもシチリアなどのより南の地方から十分な食料が供給されず、かつ経済的に行き詰ってしまったのは有効なリソースに対して人口が増えすぎてしまった、ということが根本的な要因にはあります。イタリアでは船材の森林資源が不足というか少なかった、ということが経済発展のボトルネックになった、ということは玉木俊明氏の「海洋帝国興隆史」で示唆されていることですが、とにかく有効なリソースに対して人口が増えすぎたこと、が経済成長のボトルネック、つまり食糧難などを引き起こした、ということは多いにいえることなのではないでしょうか。それとも、暗に水資源が人口に対して不足していたから、ということも言えなくもありませんね。とにかく、時代によって温暖期・小寒期の違いはあれど(一応宮崎政勝氏の「風が変えた世界史」によると十字軍遠征などの14世紀までは温暖期で、それ以降の百年戦争を挟んでいわゆる大航海時代は小氷期だった、とのこと。先のイタリアの例ではないが食糧難が起こった事情もそういう原因にあるのかもしれない。)基本的により温暖で比較的農産物の生産に優れるより「南」の地方がより冷涼で文明の発展速度に対して食料や水資源には困らないより「北」の地方に搾取される構図は、この地球上には基本的にはその元が存在する、ということは多いに言えてしまうのです。となると、先の通り南北問題は当たり前で、むしろより北の地方が金融面などで南の地方を支援して、経済と気候のバランスを取っていなかければならない、ことになるのですが政治的理由でむしろそれが出来ていない、となるとやはり国際的にそういう方向に歩調を取っていかなければならない、ということはいえるのだと思います。今、より北のヨーロッパでより南の地方の難民流入問題が起こっていますが、これらを根源的に解決するには南のほうでも安定的に農産物を生産あるいは水資源を供給、あるいは人口が許容量に対して増えすぎないようにより「北」の地方が働きかけをしていかなければならない、ということが必要になってきます。また北のほうが南の農産物などを搾取しすぎない、あるいはそれに見合うだけの工業加工製品などを供給する、ということが必要になってきます。これだけ、今ある地球上で資源とリソースのバランス(要は水と人口のバランスなど)がはっきりしているのですから、それを踏まえた、それを前提とした、全地球規模の話し合いに舵を切っていかなければならない、そう思います。余談ですが、交渉でよく話がまとまらない、難航する、といった要因はそもそもどちらかが相手の要求に全く応じていない、ということに原因があるのです。交渉のミソは要は折衝することにありますから、お互いがお互いの言い分をほぼ100%認めないと、そもそも交渉は成り立たない、ということになるのです。お互いがお互いの言い分を聞いておいて、どちらかの条件は認めない、ということはまず容認されませんから、お互いがお互いの立場に立たないと、まず交渉は成立しない、のです。条件はまず決まっているわけなのですから、まずはちゃんと肚を据えて話し合う必要が、あるのです。
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2016年02月18日

陣形と戦術

中世の陸上での戦いはヨーロッパでは主に陣形を組んで行われました。中国の三国時代でも陣形を組んだ戦いがあったことは三国志などの読者の方々はよくご存知であると思いますが、陣形は主に二つの目的によって組まれた、使用された、と考えられます。ひとつは、集団としてまとまることで個々の被害は少なく軽減するため。もうひとつは、まとまることによって攻撃力も上がる、ということ。陣形同士でこのように押し合うことは陣押しとも言いますね。中世の陸上での戦いはそれなりの大人数で行われましたから、しかもそれが一か所に集まって決戦することが多いですから、陣形を組んで集団で戦うことは自然の成り行きだった、ともいえます。しかしながら、中世のヨーロッパでは中国の三国時代を始め東洋のような魚鱗や鶴翼、雁行、錐行のような陣はなかったというかおそらく知られていたとしてもそこまで広く使われることはなかったでしょうから、基本的には典型的な横列、方陣、騎兵なら錐行のようなあまり煩雑ではないシンプルな陣形を使って戦っていたのではないか、という推論は容易に成り立ちます。十字軍の時代などのイスラムの軍ではある程度まとまって、というか三日月のように弓騎兵(あるいはラクダ)が連なって、敵に効果的な矢を浴びせる戦術は中世の戦いをまとめた書籍などには載っていますが、まぁ概ね言えるのは地方や文化によって戦い方は多少違い、風土や場所にあった戦い方をしていた、あるいは、適合した陣形を使っていた、ということだと思います。簡単にまとめると、集団で戦う以上陣形を組んで行ったほうが統率の面でも有意に戦える、ということ。もうひとつは、大人数を動員するのでやはり戦術運用上でも陣形を組んで戦わざるをえない、というのが実情ということになります。結論からいうと、中世の陸上の戦闘で陣形を組んで戦うのは当たり前、中国の三国時代や中世ヨーロッパなど時代や場所の違いはあれどみなそれぞれその土地や気候にあった戦い方や陣形を用いた、ということになるのですが孫子の兵法で有名な、古代中国の孫子によると一番いい戦い方、というかどんな場所でも通用する最良の戦術は、「無形の陣」だそうです。これはどういうことか、といいますと陣形はある程度時代が重なればいろいろ実践で使えるものも含めてあるけれど、いざ戦闘に直面したらそのときの戦い方で臨機応変に戦うことが一番、ということを説いているのです。陣形同士の戦いではどうしても大勢の歩兵は動きが重く簡単には動かせないため、陣形やその戦い方の組み合わせにも時代を重ねることにある程度のセオリーが出てきます。しかしながら、いざ現地で戦闘になった場合にその時の状況や場所に合わせて、臨機応変に戦えば、百戦危うからずというか少なくとも戦術上は万全に戦えます。陣形もそれを用いた大勢の戦いも三国志で諸葛亮と司馬懿が陣比べをするシーンがある通り、大勢の将兵の命を預かる上少しの采配の差で戦況が覆るなど、空の行いですが、最終的にはその場その場にいる者たちの心構え、というか精神論によるところが大きい、ということでしょうかね。実際の物理空間では戦争をしてはいけませんが、ゲームのシミュレーションでいろいろと試す分には陣形について学べることも多いし戦場においての人間の行動科学なんかも、多いに研究できますね。時代や場所の違いはあれど、人間の戦い方というものは効率と合理性を求める上では基本戦術はどこでも一緒、だったということです。
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2016年02月15日

行政機能の分割と機能化

はい、というわけで、お久しぶりですが、今日は行政機能の分割と機能化について、です。行政機能っていうと、なんだか分かりにくいですが要は、行政とはそもそもそのひとくくり(プロヴィンス=行政区、州)に対して必要な内政や事務処理を行う役割のことで、それに機能がつくと、プロヴィンス(州)などの一行政単位あたりの行政を行う機能のことを指します。行政機能の(ちょっと被ってますが)機能化、というとどういうことか、というと要は、どれだけ少ない労力、コストで行政が機能化、効率化するか、ということです。つまり、一行政区がひとつの集団だとすると行政機能およびそれの機能化とは指示命令系統が強化されることであって、要はどれだけ効率的に行政を行えるか、ということになります。従って、いきなり話は飛びますが道州制などで行政州が分かれていて、なおかつそれぞれの自治体で「効率的な」少数民主主義を行った場合に行政機能は最高に高くなる、ということです。なので、何が言いたいのか、というと基本的に(ちょっと時代は遡りますが)所有領土が大きくなればなるほど、量的な領土や物量は増え、反対に民意が反映されにくくなるなど行政効率は下がります。逆に、それらのような同じ対照的に広い領土でも、ある程度の細かい行政区に割れば、おおまかなひとまとまりの政治的集団としての自治性は維持しながら、内分する行政区としての行政機能、あるいは民意の反映されやすいなどの政治的集団としての機能も維持ができます。つまり、何が言いたいか、というと同じ領土の広さでも、行政区ごとに区分けすれば政治効率というか、行政効率は上がる、ということなのです。ある程度の領土の広さを持つ国あるいは自治組織であればほぼ当たり前の話なのですが、行政区ごとに、というか行政単位ごとに地域あるいは街が区分けされています。これはなんでか、というと同じ領土の広さでも行政単位ごとに区分けすれば政治効率というか、行政効率が上がる、からなのです。行政効率が上がる、ということは政治的に観るとどこまで統治者の意思が隅々まで伝わるか、というような統治効率と民意が反映されやすいなどの行政効率の両面が上がることになるので、結果的にひとくくりの地域あるいは自治単位としては効率が上がるというか、平和にもなるし経済効率も上がるわけなのです。従って、何が言いたいのか、という結論をまとめるならば、行政単位を細かくしていけばいくほど基本的に行政効率は上がって、統治機能と民意が反映されやすいなどの行政機能両方が両立しやすくなる、ということです。これはどういうことか、というと今までの歴史が(特にヨーロッパですと)行政効率と王政などの統治権力の闘いで、行政効率が上がれば民意が反映されやすくなるし統治権力を強めようとすればするほど行政効率は下がって、統治者側も支配がしづらくなります。つまり、行政側から見ても統治者側から見ても行政単位を小分けにして行政効率を上げていけばいくほど支配もしやすくなるし平和にも経済活動が活発にもなる、ということになるのですが、問題は王侯貴族などの一部の権力者がその自治単位で取れる富を独占しようとすると、平和と民意の反映されやすさなどの民主主義的要素両方がないがしろにされてしまう、ということなのです。もともと封建制などの王侯統治機構は、率直に言ってしまえば行政単位ごとに区分けして行政効率を上げることに狙いがありますから(行政効率が上がると統治者側にも行政的視点側、民意の反映されやすさなどの要素側にも都合がよくなりますから、本来であれば行政単位を細かく区分けすることは王侯統治だろうと民主的行政統治だろうとどちらの場合でも都合がいいのです。ただ、王侯貴族による統治だと、ある程度の自治領の大きさがないと王侯制を維持するための維持費が捻出できませんから、王侯統治だった時代や場所では行政効率が最高レベルにまで上がるぐらいの行政単位の細かさには物理的に出来なかった、ということがいえるのです。なので、というかしたがって、というか行政効率が一番高くなるレベルにまで行政単位を小分けにするには、最初から議会制などの民主主義で政治を行う必要があって、王侯制の時代にはそもそもそれが出来なかったのです。なので繰り返すようですが、特にヨーロッパの歴史は王侯などの統治側と行政(民意の反映されやすさ、などの)側の戦いであって、その結果、現代型の議会制民主主義は19世紀以降のイギリスで始まり、そして忘れてはいけないのは議会制の行政機構は16世紀末にスペインから独立したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)、あるいはスイスやリューベック(ハンザ自由都市)などのそれ以前に共和制で政治を行っていた自治州ではすでに始まっていた、ということなのです。議会制民主主義(というか民選主義議会制)というと19世紀から20世紀にイギリスで始まった、という印象が強いですが、そもそもその原型は王侯側と民主側で辿るのならまともに大規模な戦争になった例でいけば16世紀末にスペインから独立したネーデルラント連邦共和国(オランダ)であり、それとともに発展した貿易の流れがロンドンへと変遷し、最終的には産業革命に至った、のです。なので民主的な政治、というかそれイコールで行政の小分けが行政及び経済効率が上がることに直結するのは自明の理というもので、平和と民意の反映というか民主主義そのもの両方が達成されるのにはそもそも行政の小分けが絶対的に必要不可欠なのです。今日本で道州制の議論が叫ばれて久しいですが、行政の効率化それから最小行政単位の小分けが平和と民主主義両方の達成には絶対的に必要不可欠なのは明らかであり、そのためにも日本で道州制などの導入に始まる最終民主主義を私たちは率先して達成していかなければならない、と思います。今世界で経済規模では世界で一、二を争う日本が、平和な世界の達成に向けてまず率先して行政機能改革に取り組んでいかなければならない、そう思っています。
posted by skywalker at 17:29| 愛知 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする