2015年07月03日

交易の諸原理

交易の諸原理、ということですがこちらは簡単な原理、になります。まず、前稿の追記で交易で儲かるとしたら相場の差だ、ということを書きましたが、もう少しそれを正確に表現するのなら、そもそも街により交易品の価値に差があるので、その街の間の差を利用して、というところが一応の交易の原理になると思います。例えば魚肉や木材を売っている街では、同じものは買い叩かれてしまいますね。木材に限って言うと、魚肉を作るのにも生活するのにも、商品製造の燃料にも船を作るのにも役立ちますから、必ずしもすべてがそうだとは言い切れませんが、基本的に魚肉や肉などの製品は売っている街だと当然余ってしまうので買い叩かれてしまいます。まぁそんな街にそもそもそういうものを運び込む道理もないのですが、それそのものを生産している街ではそもそも同じ交易品は売れません。売っても利益がほとんどの場合出ないですからね。これも一種の市場原理のようなものでしょう。対して、魚肉を作っている街Aとはちょっと離れたところに街Bがあるとします。そこでは魚肉の製造はしていません。となると、簡単なこどもだましのようですがAで買った魚肉をBに運ぶと儲かるわけです。またAにもし木材が売っていてBにはなくて需要があれば当然Bでは木材は高く売れます。このように街の間を船などでモノを運んで結ぶのが交易で、離れたところにモノを持って行ってその価値の差額で儲かる、というのが交易の一応の原理、ということになります。ここでいう交易の諸原理とは街ごとにそれぞれのモノの価値は違うので、その差額を利用すれば儲かる、ということについてです。最初の相場の差を利用して、というのがありましたが、相場というものは常に変動しているので必ずしもそれで儲かるとはいえません。ただ、反対に街ごとの交易品の価値の差を利用して、というのは一見相場の差を利用して、とも読めますが実はここでいいたいのは街ごとに交易品の価値にそれぞれ差がある状態では、街の間を結ぶだけでそれだけで儲かる、ということなのです。確かに経済のグローバル化が進んで市場が世界規模で統合されればそれぞれの地域での有意な交易品の価値の差はだんだんとなくなっていきますが、それでも街AとBの単純モデルで考えた場合は街それぞれにそもそも交易品の価値の差があれば、その街の間を船で結んでモノを運ぶだけで儲かる、というわけなのです。ここでいいたい交易の諸原理というものはむしろそういうもので、交易で儲かる、というのはそもそもそれぞれの街同士に交易品の価値の有意な差がある、ためなのです。
posted by skywalker at 15:28| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

産業は製造業がすべて。

産業は製造業がすべて、です。交易などでモノを動かしても基本的には物理空間を移動させただけで、むしろ製造業とは分けて考えるべき、です。それでも、交易・投資などは結局は前者は物理空間でモノを動かしているだけですし、後者は金だけ出してリベートを得ようとするこずるいやり方、です。それでも投資業は儲かる側面がありますが、それはそもそもそれをやっていいのはその製造業の創業者や株主だけです。自分の持っている製造業で利ざやを得るならまだいいですが、他人のそれに乗っかって利益を吸い上げようとするのは外道もいいところです。従って、投資業は自分の製造業あるいは、自分の職業と関係のある産業でやるべき、です。でないとリスクヘッジも連動しないので、総じてでは利益がでません。話を製造業に戻しますが、そもそも製造業というのはモノを造りそれに付加価値として乗っけて売りに出す産業です。モノを造るのもそうですし本やメディアなどの情報空間の価値を売りに出すのも製造業の一部というかひとつですが、そもそもモノを造って付加価値を乗せて売ること、です。付加価値とは新たに生み出された価値、ということで、経済というのは新たに生み出された価値に対して貨幣が供給されることで好循環となります。(詳しくは「アベノミクスを超えて」/苫米地英人著より)従って、産業としてはモノを造って新たな価値を生み出す製造業にしか意味はないのですが、本やメディアなどの情報を生み出す産業も製造業に入ります。つまり、何かを造れば製造業になるのですが、その産業の必然性として当然新しい価値を付加する、乗っける必要があるのです。しかも、それが市場に受け入れられる必要があります。そうすることで、市場に新たに付加価値が生まれたことになります。基本的に、産業の利益というものは新たに価値を生み出した場合にしか発生しません。会計のそれとは、特に1次生産業の場合は土地代や運営費がそのまま出力されたに過ぎません。ちなみに農家や漁業者が潰れないのは生活の一部つまり食料を自分の生産分で賄えるから、です。生活に必要なものさえ尽きなければ、生活を続けることができます、よね?生み出された農産物などに付加価値が付けばいいですが、そうでない場合は市場の供給量に対して、不足分を補った分差益が生まれるだけです。本来の意味で、儲かっているとはいえません。ではどうしたらいいか?1次生産業の場合は、2次加工をして(つまり、農産物の乾燥や塩蔵加工など)加熱などの調理を経ない方法で、中間財、つまり半製品化すればよい、のです。3次加工までしてしまうと、生産にコストがかかりすぎる上に中間業者の儲けが出なくなってしまいますから、生産的にも産業的にもおいしくありません。そもそも農家や漁業者など1次生産者にそこまで無理を強いるのが無理というもので、1次生産者はできる範囲の2次加工をしていればいいことになります。ちなみに、経済インフレ単位では市場に出回る物資が増えたことになりますが、事業者個人の利益としては、1次生産品の2次加工をした段階でその分のコストを引いた差益が利益になることになります。加工した分だけ、それは付加価値を生み出したことになるのです。ちなみに、生産業以外でこれをやっても、ほんのわずかの中間費用が儲かるだけですから、そもそも産業としては成り立ちません。お家の生産業を手伝うのならまだしも、産業としては儲けが出ない、わけです。もし1次2次生産品を売って儲けたいのであれば、そもそもその生産業と自分がつながっている必要があります。出回っている1次2次生産品を売っても、儲かりません。そもそも二次産業品とは違って生産施設を使った大きな付加価値は生み出していませんから、儲けといってもせいぜい市場の不足分を補った差益がでる、だけです。1次2次生産品(一次産業品)で儲かるのは、そもそもそれの原材料から生み出して最低限の加工をした場合のみ、です。あまり加工しすぎない、のがコツになります。ちなみに、6次産業なんて言葉がありますが、確かにあれは過疎地などの田舎では生産から供給まで一括でやってくれるので、安定供給にはつながりますが、都市部と結びついた産業としては役に立ちません。なぜなら、生産者側にはコストのかかりすぎること、ですし流通・供給業者・3次加工業者側としても儲かりません。もし、田舎にそのような儲けのハブを造りたいのであれば、流通拠点を造ってそこを流れるモノから利益を吸い上げるべきで、生産から最終商品まで一括で造ってしまう産業は必ずしもおいしいとはいえません。何よりコストがかかってしまいますし、中間業者の儲けもないので最終的に利益が出るかも疑問ですし、その産業が育つかどうかも分かりません。基本的に、産業では共生・寄生という考え方が重要になってきます。無駄に競争してもお互いの利益を減らしてしまうだけですから、限られた場所なら尚更、産業・生産者の住み分けというものが重要になってくる、というわけです。書き加えておきますが、6次産業というのは限られたごく狭い場所に安定供給するのなら、十分安定産業だと思います。ただ、その場合でも売れなくなってしまったら、利益は出ないどころか運営費用もできませんから、中間業者を上手く使うのも、大切だというわけです。流通・3次加工をする業者のために、うまみは残しておくべき、というわけです。話が6次産業のほうに行ってしまいましたが、話を戻すとそもそも付加価値というのは物理空間の生産で生まれるもの、また製造業だけが、本来の意味での利益を生み出せる、ということです。ちなみに、本やメディアなど情報空間の製造業でも利益というか付加価値を出すことはできますが、仕組み的には物理空間のそれをよりうまく回すために産業はあるようなもの、なのです。従ってというか、モノの軽さから言ったら情報的なものを売り買いするのが一番利益が出やすいのですが、それを含めて情報的生産業というのはあくまで物理空間の産業や付加価値を回すためのもの、なのです。基本的には、物理空間での製造業、つまりモノが基本的な人類の価値として共有されていくことになるのでしょう。あくまで、人類にとって重要なのは、物理空間というか物理的なモノ、なのです。そもそも、物理空間には情報空間と違って大きな制約があります、からね。限られた共有物を、いかに上手く使っていくか、が大事なのです。
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posted by skywalker at 12:40| 愛知 ☔| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする