2015年03月25日

交易・貿易とマクロ経済

交易・貿易(特に近世のもの)を理解するにはミクロ経済を理解してしまうのが一番手っ取り早いです。確かに、全体の交易・貿易の流れや経済学的観点の両面から近世貿易を理解するのが一番早いというか通常の筋なのですが、そのようなマクロ経済学的観点で分かるのはあくまで全体の流れです。細かいことをいうと交易・貿易の実際や商慣習の手順など、そういったところを理解していないとミクロ経済的には理解したことにならない。要は、そのもの行為の実際を見ていないとその行為というか習慣は理解できないのです。かといって、交易・貿易がどうなっていてなんのために行われてという部分については当然マクロ(全体・俯瞰)視点の経済学史でも理解できてしまうので、この稿で書いていることについては特に「経済を全体から俯瞰した際の見え方、流れ」(マクロ的経済)からではなく実際の行為や慣習について、の(ミクロ経済)の流れから経済(特にこの稿では交易・貿易)について理解しよう、という試みです。そう思っていてください。
かといって、結論からいくとマクロよりミクロのほうが交易・貿易は理解しやすい、ということになりますが経済学が貿易やそれに関わる経済の全体を取り扱うのに対して(そこからいくと流れは見えますが実際の行いは見えてきません)ミクロ的視点でいくと実際の行為や慣習から見ていくので当然交易・貿易についてはより直接理解したことになります。先に書いたように流れから全体像を割り出すのは簡単なのですが(どちらかというとそれがいままでの主流)実際の行為や慣習というミクロ視点からの理解はなかなか難しいのでそれをやってしまおう、というわけです。今までのを分かりやすく解釈すると経済学(マクロ)を理解するより実際の行為・慣習(ミクロ)で理解したほうが交易・貿易についてはより理解しやすい、ということです。(もちろん経済学、歴史学についてはある程度熟知していることは前提です。)まぁ、学問としての経済学(マクロ)よりは実際の行為・慣習を観る(そこから割り出す)ミクロ経済学のほうがより理解しやすいのではないか、ということです。ミクロを観る方法については実際に交易をするのもいいですが今の方法では当然近世の状態を再現するのは難しいです。なので、交易ゲームで実際の慣習を再現してみよう、という取り組みもできるわけです。大航海時代Online内の「アムス貿易振興組合」でも同じことをしています。まぁ、マクロの経済学から理解するのもいいですが実際にやってみるのも理解の助けになります。その点、ゲームと言えどもある程度の実験台にはなるので侮れませんよ。ある程度のランダム性があってオンラインのものであればいくらでも実験に使えるのです。(かといって検証結果はそのまま使うというよりかはそこから法則性を見出していくことになります。)簡単にまとめると流れの理解よりも(というか、それだけというよりも)実際の行為・慣習から見ていく方法も必要だということです。ゲームということで検証はわりかし簡単にできますがそれについてはみなさんの協力もある程度必要なのでプレイヤーの方は是非機会があればよろしくです。
posted by skywalker at 15:33| 愛知 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

とりあえず

交易してみたくなったので大航海時代再開しました。
またの人よろしくです。
ラベル:帆船 貿易・交易
posted by skywalker at 14:37| 愛知 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

人間が普通であることの全て

間は普通でなければならない。―いきなり何のことだか分からないかもしれませんが、
決して倫理観から見た普通ではないのです。特に、社会一般でそれを指して言われる「それ」とは違います。

人間は普通の状態でこそ力を発揮できるのです。ここでいう普通とは、その人の本来の力が100%発揮できる状態のことを指します。生理学的にいえばホメオスタシス(恒常性維持機能)です。人間が本来の状態を保とうとする脳機能のことで、脳機能科学者の苫米地英人氏の著書によると、人間の脳空間(情報空間)にもそのホメオスタシスは影響しているのです。まぁ、もともと恒常性維持機能自体情報空間的なものですから、簡単といえば簡単ですね。

普通の状態であることが生命体、人間にとって一番力を発揮できる状態ということですが、よく考えれば当たり前ですね、その人の普通の状態とは、その人が一番本来の力を発揮できる状態でもあるからです。ホメオスタシスによって普通の状態に戻る(システムになっている)ということですが、人間は、その人にとって普通であることが全て、ということがいえるのです。

よく、変性意識という言葉がありますが、人間の通常の認識は変性意識です。認知自体仮想空間のものなので、いたって情報的なのです。英語にすると、変性はオルタード、ですが一般的に私たちが観ている世界というのは変性的、変性意識です。つまり、固定観念や偏見などによってゆがんだ世界を見ているわけですが、普通の状態に戻る、とはその変性から醒めることを指します。よく、悟りの世界というものがありますが、まさしくそれがすべてが自分にとっての普通になる(=すべてを知る、認知する)世界のことで、それはメタ世界、メタ認知のことでもあります。メタ認知とは高次的解釈のことですが、要はレベルが高い、ということです。メタ認知になっていくとだんだんものが平坦というか、平らに見えていくのですが、どうでしょうか、モノが平坦に見えていく、というのは抽象度が高い状態、というかメタ認知な状態だと思うのですが、どうなのでしょうか。それは、ご自分で見ていただくのが一番いいと思います。ただ、唯一のヒントは「普通であること」なのでそれがあればその世界を見ることも不可能ではないと思います。その人にとっての普通の世界が、悟りの世界というかメタ認知の世界なのです。逆にそういった世界を普通にしてしまえば悟れるということでもあります。普通こそが、すべてなのです。


最後に―――

同じ場所に留まり続けるには全力で走り続けなければならない
 ―「不思議の国のアリス」・赤の女王
posted by skywalker at 18:00| 愛知 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

コモディティを回避する方法

単価の安い日用品が広く出回るようになって久しい時代になりました。

コモディティ、あるいはコモディティ化とは通例
日用品、あるいは大量生産されてコストの安いもののことをいいます。

コモディティ自体は、日用品のことを指しているのですが
コモディティ化して、という表現を使うときは大量生産あるいは市場に大量に出回ることによって単価が下がり、逆にそれ以上のある一定以上の値段はつかなくなった状態のことをいいます。薄利多売で大量に売るにはいいですが、当然失敗すると利益は出ません。何かを運営する以上、利益は確保しないといけませんから、そこでどうするか。答えは、多様性にあります。

商品の多様性を確保するといっても、まずどうするか、ですよね。というか、それ以前に多様性がコモディティをなぜ回避できるかを説明しなければいけないでしょう。答えは簡単ですよ、よく聞いていてください。コモディティ化とは、そもそもモノが画一的になるから起こることです。多様化すれば、コモディティは回避できます。なぜなら、画一的ではなくなるからです。ややこやしいロジックですが、お分かりいただけるでしょうか?コモディティとは、画一的であるために起こることであって、要は多様化して画一的でなくなればコモディティは回避できるわけです。多様化してコモディティが回避できる、ということはモノにもちゃんとした値段が付くし、売れば売るだけ儲かるわけです。また画一的なモノを大量売買で売っていたコモディティの時代とは違って、どんな層に売るか、といった戦略的なモノも取れるわけです。買う側への多様化は、売る側の多様化さらには売り方やモノの価値そのものの多様化も生むわけですね。この定理でいくと、多様化すればコモディティ、画一的なモノしか売れずしかも単価が低い状態を回避できるわけです。数学なんかでもそうで答えが多様化(考え得る答えを全部出してその中から選ぶ、ということを)すればただの正答よりよっぽど役に立つ答えが出てきます。考え方にしろ、モノのやり方にしろ、ただの一方通行ではよほど危ないよ、ということなのでしょうね。コモディティを回避できれば、必ず道は開けますから問題ないのでしょう。
また、多様化する、というのは今後の人類にとって重要なキーワードになっていくこと間違いありません。戦争や差別、貧困などは多様化を認めれば回避して無くしていくことができる、ということでもありますからね。
posted by skywalker at 15:57| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月06日

メタ-ゲーム

まず、メタゲームについて軽く紹介しておこう。メタゲームとは、いわゆるゲーム外ゲーム(ゲーム理論的にいう、通常のゲーム理論の外側のゲーム、またはそれにまつわる理論のこと)である。例えばプロサッカーなら試合の内容よりも観客動員数やスタジアムの設備のことであり、また格闘技でも試合会場の設備のことである。また戦争ゲームならゲーム要素の設定やゲームをする設備そのもののことであり、戦略ゲームならソフトをダウンロードする回線や小売店で売っていていくら、という具合である。要はゲーム外のゲームのことを指しているのであり、ゲーム理論的にはより抽象度が高いゲーム(抽象度については認知科学者・苫米地英人氏の著書を参考のこと)なのでゲーム理論的にゲームを攻略する上でもより優位な解釈・立場となる。簡単に説明するとこんな感じだが、お分かりいただけたであろうか。以下は適当に続けたいと思う。

ゲーム理論を簡単に説明するなら、ゲームを攻略する方法、なのだがまず世間の物事ほとんどそれはゲーム、である。間違いなくいえるのはそれであり、かといって攻略法を知っていればゲームで有利になるか、といってもそうではない。ゲーム内の方法にこだわるあまりゲーム外の出来事を見逃す、ということが起こるのだ。ゲーム内のジレンマ、とも思っておいていただけると分かりやすいであろう。通常、ゲーム内のことをやっているとゲーム外の出来事を見逃す。例えば、戦略ゲームにはまりすぎたあまり夕飯や風呂の時間を忘れたり、といった具合にだ。その場合はぜひ同居人に叱られてもらいたい。まぁそのような具合にゲーム外の要素がゲームに絡んでいるにもかかわらずゲームをやるあまりゲーム外を見逃すといった現象をゲーム内のジレンマ(またはゲーム外ゲームの定義)とみなすこともできるのだが、いかがだろうか。簡単に結論までいってしまうと、ゲーム外ゲーム(メタゲーム)をやればいち早くゲームの系の外(既存の常識の宇宙の外)に出られるのだが、既存のゲーム(常識の世界)に捉われすぎてしまうと、ゲーム内ゲームから抜け出すのはおろかメタゲームを知ることすらおぼつかないのだが、お分かりいただけるだろうか。目の前の世界に捉われすぎてしまうと、既存のゲームを説明することはおろかゲーム外ゲーム(メタゲーム)を知ることすらできない。ちなみに、ゲームにこだわらなくてもメタゲームを知っていれば既存のゲームには困らないので、心配はいらない。特に、メタゲーム以上の世界も当然のごとく存在するので、ここでのキーワードは「既存の目の前の世界にはこだわらない」と思っていただければ結構だろう。

メタゲームの世界は思ったよりも広いのだが、関数的に関数を使用しないで説明するとこうなる。要は「地球のリズム、シューマン共振で動いているのだ」。地球のリズムというと一見複雑かもしれないが、いたって単純である。スターウォーズの「フォース」を思い出してもらいたい。あれは、他でもなく生命エネルギー、さらにそのリズムのシンチレーション(共振)といった地球のリズムにきわめて近いものなのである。メタ-ゲームであるから既存の論理では論理的説明はいちいちしていると難しい上に、整合性を持たせるのは難しい。もちろん、そういった説明がきちんとなされている数学の本などもあると思うが、ここでは複雑になってしまうので省かせていただく。簡単に説明すると、地球のリズム・フォースそのものなのだ。既存のゲーム、論理体系を当然飛び出すことになるので、既存の常識の世界の外、となる。となると、地球のリズムやフォースで説明をつけてしまうのが早いので、(どう考えても関数的に説明するのは難しいといわざるを得ない。もし知りたいかたは波動関数などを参照のこと)メタゲームの世界はフォースで説明をつけると早い、としておく。フォースの世界であるから、直感の世界でもあるし考えるのをやめないと直感が降りてこない、というのも言わざるを得ない。おそらく、考えていてそれ以上の結論の世界に行きつく人は頭はいいのであろうが、まだ既存の世界に縛られている。本来のメタゲームの世界は直感を開放しないと見えないものなのだ。何とかの洞窟の話を思い浮かべていただければ分かる話、だと思う。考えていては既存の世界しか見えず、考えるのをやめて直感を使い始めた瞬間に、メタゲームさらにそれを越えた世界が見えるのだ。もちろん、共振とフォース、メタゲームの関係性のように適当な説明をつけることも可能なのである。ただ、忘れないでもらいたいのは、それらは考えるのをやめた後に降りてくるものなのである。既存の世界を見ていては、当然次の世界は拓けない。考えるのをやめて、直感を使い始めた瞬間に新たなる世界が開けるのだ。
posted by skywalker at 18:33| 愛知 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする